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山岸凉子展 「光 -てらす-」 [マンガ]

 弥生美術館で”山岸凉子展 「光 -てらす-」”を見た。
主に、扉絵とマンガの原画が、デビュー作(「レフトアンドライト」)から近作(「レベレーション」)にかけて展示された。

 私は高校生時代に雑誌「LaLa」に連載された山岸凉子の「日出処の天子」を読んで、この作家のファンになり、その後「マンガ少年」などに掲載された短編から長編までさまざまな作品を読んできた。山岸凉子の作品は、細線が冴え、余白が生きている。画面に独特の緊張感があり、物語の底流に異次元ともいえる時間がつねに流れ、ラストで深い穴の底に吸い込まれるような感覚を味わう。

 この作家は新しい視点による発想と大胆な構想力が魅力だ。
「日出処の天子」では、固定した肖像画イメージを持つ聖徳太子を中性的な超能力者に仕立て上げ、厳しいほどの自律性をもって描き、少女漫画誌に掲載した。当初は編集部に反対された[*1]というそのキャラクターは、マンガに十分親しんできた高校生が読んでも驚くべきものだった。妖艶で美しい聖徳太子など、だれが想像できただろう。しかもその人物像を、神話的な背景をふまえ、苦悩させ、高いレベルを保ちながら描ききっている。たしかに、マンガとは本来そのような跳躍する想像力を基にしたものだが、山岸凉子はそれまでのマンガにはなかった独特の描画力によって画面をつくり、物語性を高めた。

 独特の描画力をかたちづくっているのは緊張感をもった細線だ。緊張感を「厳しさ」と言い換えてもいい。比較するならば、手塚治虫の柔らかさとはまったく位相が異なる描線といえる。丸ペンによる張りつめた細線で描かれた人物が放つ身体性が第一にこの作家の作品を特徴付ける。つねに人物に焦点をあてており、極力省かれた背景は舞台説明のための小道具にすぎない。そのうえ、時間や空間を自在にあやつる手法はダイナミックである。視点やコマ割りはシンプルにもかかわらず、登場人物の深層心理をつくりこみ、ほんのわずかな線や空間が物語の深淵を暗示する。例えるなら、能や狂言に通じる世界観とでもいえばいいだろうか。山岸凉子は、強い身体性を簡素な描写によって表現できる稀有なマンガ家だ。ただし、テンションを外す所作がどこかに織り込まれている点もまた山岸マンガの魅力でもある。

 今回の展示は点数は多くないが、「アラベスク」や「妖精王」「メタモルフォシス伝」など各作品の扉絵や原画をガラス越しにじっくりながめることができる。私は細部に目を凝らし、山岸作品の秘密がなにかわかるかもしれないと思いながら見た。原画を目にし、大胆な筆致に加え、ベタを効果的に使い、衣装などの文様をていねいに描いているのがあらためてわかった。丸ペンの背で描いたのだろうか、想像以上に細い細線もあった。緻密さと緊張感に満ちた余白が高い表現レベルで共存する。描線や構図の確かさからして、日本の古典絵画や古典芸能の舞台に通じるといっても決して大げさではないだろう。さらに物語性の点でも、神話や古典(日本に限らず)に結びつく普遍性をもつ作家であることを再認識した。

山岸凉子展 「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界―
場所:弥生美術館
会期:2016年9月30日(金)~12月25日(日)

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[*1]これ以前にも、すでに多くのバレエマンガが登場した後だっため「バレエマンガは古い」との編集者の反対を押し切って掲載した「アラベスク」が大ヒットした。さらにこの系譜はダヴィンチに連載された「テレプシコーラ」へとつながっていく。

デッサンと荘子 [制作]

 このところ、制作で行き詰まっている。なにに行き詰まっているのかは言葉では明確に説明できない。絵を描いている人なら、個展のあとなどに訪れるこのなんとも制御のきかない、気持ちが停滞するような経験はあるはずだ。もっとも、ゆるぎないテーマや不動のモチーフを持っているのであれば別だが。

 いわゆる抽象と具象、私は長年このはざまで揺れ動いている。見るほうは面食らうだろう。水彩で風景画のようなものを描いていたかと思えば、70年代アメリカのミニマルアートのようなものを展示する。展示を重ねるごとに、感想を開く口数がだんだんと減っていくのが分かる。

 抽象と具象の区別論は別の機会にすることにして、前者の作品を制作する時は、コンセプトから始まり素材選びまで、計画を練るようにして思考を煮詰めていく。到達点が決まれば、それに向けて材料を用意し、作業を「遂行」するだけだ。途中で予想外の問題が起きたりするが、それは解決できない類のものではない。出来上がった作品はテクスチャーや見え方などで意外な面をもつにせよ、大枠はイメージどおりになる。

 いっぽうの具象の場合、室内で描く静物や人体、屋外で描く風景など、プロセスを含め、始めてみないとどうなるか毎度分からない。しかし、冒険したつもりあってもたいていは予定調和的な地点にたどりつく。一部でも自分の枠を超えたものが表れれば手応えを感じるが、自分の力の範囲を知らされる結果になり、というか、結局は自己模倣を壊せない自分がいて、いつも不満が募る。

 両者の間でにっちもさっちも行かなくなると、こんどは鉛筆デッサンを始める。コンテンポラリーだとか現代美術とか言っているのに、いまさらデッサンなんかやっているとは時代遅れ、との指摘もあるだろう。しかし、絵画はものごとの本質に迫る行為だと思っている私は、ときどきデッサンに立ち返る。本当は毎日するべきプラクティスなのだが、凡人はその重要性をすぐに忘れてしまう。

 デッサンでなにが大切なのかといえば、それはとりもなおさず「壊すこと」だ。壊しながら描く。かっこつけた言い方をするなら、「再構築」だろうか。ものをそっくりに描写することではなく、感覚と技術における修正作業の繰り返しだ。創作は凝り固まったなにかをいったん壊した先の仕事になる。そう、頭では理解しているつもりだ。

 そんなことを考えていたら、福島に住む玄侑宗久さんがラジオ番組で、荘子の思想を紹介していた。福島では、放射能汚染に対して「危ない」「大丈夫」と意見が二分している。それぞれに肯定バイアスがかかっており、自分の意見の正しさを補填する材料を集め、対立している状況だという。荘子のいうように「これが自分だ」(自分はこうだ)という固定した思考をいったん壊し、組み立て直すことが必要ではないか、と玄侑さんは説いた。デッサンの解釈は広いが、その真髄は2300年前の思想にすでに表わされている。
タグ:絵画
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松田松雄展 [美術]

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 盛岡の岩手県立美術館で開催中の松田松雄展を見る。
 東京から盛岡までは東北新幹線で2時間10分ほど。ときどきうたた寝しながら車窓を眺めていると風景がめまぐるしく変わり、埼玉、栃木、福島、宮城を抜け、あっという間に到着した。東京と東北北部の距離は思った以上に縮まっていた。

 松田氏の作品に対面するのは、記憶にあるかぎり高校生のときに文化センターあるいはいわき市立美術館で見て以来だ。私はかつていわき市にあった市民による美術グループで同氏に会っている。今年刊行された氏の著作「四角との対話」を読み、あらたな発見があった。そこには、絵を描く者としての共感以上の身に迫る言葉が綴られていた。松田氏は岩手県陸前高田市で生まれ、20代半ばにいわき市に移り住み、制作活動を行なった。残念ながら2001年に亡くなり、今回は没後初の大規模な回顧展となる。

 展示は、画家に転身した翌年の1968年の作品から始まる。松田氏の主要モチーフとなった人物像は初期作品(風景「人」)にすでに登場していた。当初は黄または赤、青などで表されている。それが1975年に、黒い二人の人物を描いた「風景(川のほとり…)」を発表し、さらに1977年の作品「風景」では群像になる(年代は今回の展示作品を基にした場合)。画家としてスタートした30歳でこのような主要モチーフ(かたち)に出会えたのは幸運と言える。自己にまっとうに向き合わなければ、長く付き合えるモチーフはやってこない。

 本展のクライマックスは、美術館の大空間にまとめて展示された「風景」シリーズだろう。作品が並ぶ空間はこの画家ならではの存在感に満ちていた。あらためて作品を丹念に見ると、キャンバスの布地の凹凸を巧みに使って人物や風景のマチエルを表していることが分かる。また、黒の調子を表現する力量は並ではない。こする、鋭利なもので引っ掻く、白で周囲を塗る。それらの手法を適宜使い、つや消しの黒による独特の具象的描写を実現した。そこに非凡さがある。特にいわき市立美術館蔵の3点(「風景(民-A,B,C)」)は完成度が高いように思う。艶消しの黒はたぶんアイボリーブラックなのだろう。ひび割れなどが起きていないところをみると、艶のある背景にそのまま載せてはいないようだ。背景を表す白が人物の黒の際まで塗られている。さらに、人物の肌の部分はキャンバス地が見える。印刷物では判別できないが、群像を構成する各人の黒の階調を変え、全体として幅をもたせている。

 さて、これらの人物や群像は何を表しているのだろう。松田氏自身は著作の中で、幼少時に暮らした津波常襲地帯だった村での避難の夜に見た村民たちの黒い姿、あるいは行商人について触れている。いまのわれわれにとっては、原発の避難民、外国の難民、あるいは日常生活で孤立した人々か、すべての物や財産を取り払ったあとの人間本来の姿か。そして彼らがいる場所は浜辺なのか、砂漠だろうか。嘆き、悲しむ人々は次々と斃れてゆき、そのまま岩になってしまうようにも思える。画家は、分断されていく人間たちの姿を'60年代にすでに予見していた。しかし、なぜか白い風景や遠くの海は柔らかく、包容力さえ感じさせる。この絵画空間を目にしたとき、人々の内に溢れるのは悲しみや絶望と同時に、いたわりや慈しみなのかもしれないと思う。来場者は描かれた家族や群像にさまざまな感慨をいだくだろう。その点で、松田氏の「風景」はいま見るべき作品だ。

 今回の展示では、作家の主題の変化を明示的に見て取ることができる。主要モチーフであった人物はさらに黒く、物体のようになってゆき、ついには消え、代わりに抽象的なタッチや面が現れ、躍動的なストロークに変わる。人物による抑制的な表現から、即興的な筆致による解放へ。風景シリーズでは白と黒を分けて描いているが、「風景デッサン」シリーズでは黒のタッチの上に白を重ねている。引っ掻きこそなくなったが、黒と白による相互作用的な表現は変わらないのかもしれない。
 松田氏は、
「自分に才能があるとかないとかも、私は一切自分に問わない。才能があるから絵を描いているわけではない。『私』という人間の存在と可能性に関心があるだけなのである」
「私は今でも、画家になるための勉強とは、ただ日常的に自分自身と直面することに耐えられる、ごくあたりまえの精神をもつことだと思っている」(「四角との対話」)
と語った。これは、創作に携わる人間の世界において普遍性をもつ言葉だろう。常に自己と対峙し、才能や技術とは別の場所で厳しい仕事を続けた画家、それが松田松雄なのだと思う。


〔追記〕本展の開催期間中、盛岡市内にあり、松田氏と縁が深いMORIOKA第一画廊でも同氏の小品を中心とした個展が開催されていた。
タグ:松田松雄
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VOLKSWAGEN GOLF [クルマ]

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 1980年ごろだろうか、高校時代、自宅近くのDIYセンターでアルバイトをしたことがある。「アンゼン」という名のその店は当時、地域で最大の売り場面積をもち、大工道具から日用品、カー用品、植木まで、さまざまな商品を扱っていた。
 私は毎週土曜の夕方と日曜にこの店に入り、当初はエクステリアのコーナーで社員の手伝いをした。もとより、技術や知識がないので、言われるままに物を運んだり、客対応などをしていた。上司にあたる男性社員と気が合い、仕事の初手を教わった。もはやその人の名前は忘れてしまったが、高校生にとってはだいぶ年上に見えた。とはいえ、たぶん30歳前後だったのではないだろうか。ちょっとヒゲ剃りあとの濃い、いかにも独身といった風体の人だった。いま思えば、彼の趣味はクルマだったのだろうと思う。よく自分が乗っているクルマの話をしていた。外車なのだという。日本車とは違う点やよさを聞かされた。いつか、そのクルマに乗せてやるという。
 早晩その日がきて、昼休みに店の前の広い駐車場で待っていると、なんだか四角いフォルムのクルマが現れた。彼はクルマから降りて、愛車を紹介した。ボディーカラーは忘れてしまったが、たしかブルーだったか。そのクルマこそ、初代ゴルフだった。そのときの私が、フォルクスワーゲンのこのヒット作をすでに知っていたかどうかは定かではない。横置きエンジンなどに関する講釈をしばらく聞いたあと、助手席に乗り込むと、クルマはゆっくりと動き出した。
 内装はちょっと武骨でシンプルな設計。日本車とは異なるパネル周りのレイアウトが、ドイツ的な気質を漂わせていた。チェック柄のシートは若干硬めだったが、これも初めて体験するフィット感があった。
 DIYセンターは鹿島街道という南北に伸びる幹線道路沿いにあり、多くの客はクルマで来店した。当時の先駆的大衆車は外車初体験の高校生を乗せて街道に入り、青空の下、速度を上げた。窓越しの風景もこころなしか違って見える。少し走ったのち、
「日本車との最大の違いは高速安定性にある」
と彼は言い、それを証明するようにアクセルを踏み込んだ。ゴルフはほぼ一直線の道で加速した。90kmは出ていたろうか、確かに、加速と同時に車体がグッと沈み、アスファルトをグリップする。わずかな感触だが、父親が運転する日本車(セドリック)にはない安定性を体験した瞬間だった。信頼性と言い換えてもいいかもしれないそれは、アウトバーンを走行するドイツのクルマに欠かせない性能だったのだろう。私はその性能に魅せられ、彼の言葉を丸呑みにして共感した。さらに彼が「国産車はどうがんばってもこの高速安定性を実現できない。足回りのよさはいくら研究しても真似できないよ」というようなことを話したのを覚えている。
 30分ほどのドライブは爽快だった。私が初めて乗った外車、ゴルフⅠ型。特徴的な丸いヘッドランプと無駄のないコンパクトなボディーデザインもすっかり気に入ってしまった。そのとき、将来自分がクルマを買うとしたら、必ずゴルフにしようと決めたのだった。
 私にゴルフのよさを教えてくれたその人は、それから少ししてDIYセンターを辞めてしまった。名前はおろか、顔もぼんやりとしか思い出せないが、あのドライブの記憶だけは今も体に残る。以来、ずっとゴルフが気になっている。新型が出るたびに雑誌などを買って眺めた。しかしあれから30年以上経ち、残念ながらいまだ自家用車を持つ身分には至っていない。
 一方、ゴルフのほうは進化に進化を重ね、現在では大衆車というよりも、高級車の範疇に入るようなクルマになってしまったように思う。ボディーもひと回り大きくなった。品質と性能の追求の結果なのだから、やむを得ないのかもしれない。CarGraphic TVなどを観ると、安定性や信頼性、剛性の高さは健在らしく(ただし、II型までは故障が多かったのも事実)、私などが運転したらすっかり満足してしまうだろう。だが、もはや自分には似合わないクルマに思え、サイズや価格の面でみても、ゴルフよりポロか? という迷いすら生じる。買うあてはないので、ただの空想にすぎないが。
 もしいまクルマを持つ機会に恵まれたなら、はたして最新のゴルフを選ぶだろうか。自分が変わったのか、ゴルフが変わったのか、あのときの決心がちょっと揺らいでいる。

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鈴木大介 ギター・リサイタル [音楽]

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 「映画名曲コンサート」と題した鈴木大介のギター・リサイタルを聴く。会場は三鷹市芸術文化センター。

 2006年に彼のアルバム「カタロニア賛歌〜鳥のうた/禁じられた遊び〜」を聴いたとき、武満徹が言ったように、私もまた「今までに聴いたことがないようなギタリスト」という感想をもった。今回実際にホールで演奏を聴き、以前感じたことの理由が分かった気がした。

 「カタロニア賛歌」はスペイン音楽を演奏したアルバムだが、このギタリストのレパートリーは幅広い。今日のプログラムは前半が映画で使われたクープラン、スカルラッティ、バッハなどのバロック音楽、後半が映画音楽集だった。卓越した技術と演奏表現力をもち、ギター本来の音楽性を最大限に引き出す。ライブではCDで聴くよりも音質が柔らかく、表現に柔軟性があった。

 鈴木大介の音楽には温かい血が通っている。特に、スペインやイタリアの血統が色濃い。これは、それらの土地から影響を受けたというよりも、彼が本来持っている資質なのではないだろうか。より正確にいえば、スペインやイタリア的なもの、ということになろうか。気質や悲しみを備え、これまでの日本人にはなかった感覚で表現する。プログラムの後半で演奏されたエンニオ・モリコーネ「ニュー・シネマ・パラダイス」やニーノ・ロータ「ゴッド・ファーザー」、フランシスコ・タレガ「アルハンブラの思い出」で彼の特性が十分に発揮される。

 彼が奏でる音楽には人々がまだ文化芸術への希望を保っていた近代の記憶が刻まれている。それは決して古くさいものではなく、文化が熟成しつつある時代の空気が違和感なく新鮮な状態のまま織り込まれ、一つひとつの音に確かな手応えがあった。

 今日演奏したすべての曲が輝きをもっていた。プログラムの終盤で弾いた武満徹の『ワルツ〜「他人の顔」』は、さまざまな音楽家が取り上げているが、鈴木大介による解釈、アレンジもいい。曲想をきちんと捉えているということだろう。技術や表現力、体温、解釈する力のいずれをも備えた演奏家だと思う。特に、一音一音に血を通わすことを大切にし、これを成し得る希少なギタリストであるのは間違いない。次は、「カタロニア賛歌」のような張りつめた演奏を聴いてみたい。

【曲 目】
 フランソワ・クープラン(A.ディアス編):神秘の障壁
 ドメニコ・スカルラッティ:ソナタ K.213/544/263
 ヨハン・セバスチャン・バッハ(D.ラッセル編):G線上のアリア
 ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル:サラバンド
 ヨハン・セバスチャン・バッハ:シャコンヌ

 ルイス・バカロフ:イル・ポスティーノ
 ヘンリー・マンシーニ:ひまわり〜シャレード
 エンニオ・モリコーネ:ニュー・シネマ・パラダイス
 ニーノ・ロータ:ゴッド・ファーザー・メドレー
 フレデリック・ショパン(F.タレガ編):ノクターン
 フランシスコ・タレガ:アルハンブラの思い出
 ジョージ・ガーシュウィン:ス・ワンダフル
 林光:裸の島
 武満徹:ワルツ〜他人の顔
 伊福部昭:サンタ・マリア
 アンヘル・ビジョルド(R.ディアンス編):エル・チョクロ
 アントニオ・カルロス・ジョビン:イパネマの娘

アンコール
 J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007より プレリュード
 禁じられた遊び~A.トロイロ:スール
タグ:鈴木大介
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浅井真理子「drawings on carbonless duplicated book」 [ART]

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 風景や建物、目、地形、あるいは布のような、さまざまなイメージが現れては消えていく。Toki Art Spaceで浅井真理子の「つるつるのみちをとおってかなたをさわりに Walk on the slippery road to touch the surface of far in the distance 」を見る。
 感圧紙を束ねたノートへのドローイング「drawings on carbonless duplicated book」シリーズ12冊のうちの最後の1冊。下敷きを使わず、感圧紙(上用紙)に断片的に描かれたイメージは数ページ(下用紙)にわたって痕跡を残し、重なりながら減衰する。この重なりはなにかの物語を生成し、減衰は時間の流れを感じさせる。立ち現れる物語は見る者によって異なるだろう。過ぎゆく時間の感覚も同じく。
 鉛筆で上用紙に描かれた表層がオリジナルだとすれば、その後に続く感圧による青い痕跡はすべてコピーだ。このコピーの反復が表現する余韻のような奥行き。そこにある静謐さ。ときに裏面から描き足し、色鉛筆でわずかに加色したページもある。その仕事から作家の資質の確かさを感じた。
 本作は、ノルウェーのトロムソ滞在中に制作したという。作品は白い手袋をして閲覧する。ページをめくる所作は必然的にていねいになる。ドローイングのほか、作品がもつ繊細さと所作によってもまた、特別な体験を促す。この体験からくる物静かな印象こそが、本作が内包する世界の断片であり、記憶だ。ページをめくりながら、私は別の空間と時間を旅した。



「The Library 2014」-Exhibition of the Book art-
Toki Art Space 2014年8月5日-16日
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武満徹とモーツァルトの「レクイエム」 [音楽]

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 トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズの第67回定期演奏会『武満、モーツァルトの「レクイエム」』を聴く。沼尻竜典指揮、会場は三鷹市芸術文化センター・風のホール。プログラムは武満徹の「MI・YO・TA」「翼」「弦楽のためのレクイエム」、三善晃の「弦の星たち」、モーツァルトの「レクイエム K.626」(演奏順)。この楽団、このホールならではの選曲だったので、足を運んだ。
 あらためて辞書で「レクイエム」をひくと、『カトリック教会で、死者のためのミサ。死者が天国へ迎えられるよう神に祈る。入祭文が「レクイエム(安息を)」という言葉で始まるところからいう』あるいは、「死者の鎮魂を願う入祭文を含めて作曲した,死者のためのミサ曲。鎮魂曲。鎮魂ミサ曲」と書かれている。レクイエムは、理不尽な出来事で命を落とす人が絶えない現代において、まるで洞窟の中で響き続けるように奏でられる死者のための音楽といえるだろう。もっとも、この理不尽さはいまに始まったことではなく、太古から続く。そして死者に限らず、生きている者もまた常に安息を求めている。
 武満徹が遺したのは、魂にかかわる音楽とでもいえばいいだろうか。善悪を超えた、ただ生きることのみに焦点をあてた音楽だ。前2曲はポピュラー音楽的なコード進行の曲。幸福感に満ち、これまで多くの歌手によって歌われてきた。彼の音楽は演奏者の生命を借りて復活する。あるときはピアノや歌で、そして管弦楽や和楽器を通して。その印象がほかの作曲家よりも強い。「弦楽のためのレクイエム」は、悩み、苦しみながら歩き、彷徨い続ける人々の姿をさまざまなアングルで捉えた映像を見るかのような作品だった。このような表象は、われわれの心からいつの間にか消え去り、世界は物質と情報に占拠されている。
 三善晃は生命の美しさや生きる喜びを震えるように書き綴った作曲家だ。作品は、高度な構造の中に、どこかフランス的な明るさがある。それは、印象派が見つけ出した光や色彩のようなものでできている。沼尻竜典は過去にも三善晃の曲を指揮している。特に、2008年に開かれた「三善晃作品展」において「弦の星たち」を指揮した。作曲者から「完璧な解釈」と称されただけあって、今回の演奏も緻密でありながら、絶妙のスピード感でホールを包む。バイオリン独奏の水谷晃の腕も確かだ。
 モーツアルトのレクイエムは歴史そのもの。ミサの情景を浮かび上がらせ、その長大な道程を見るかのような演奏だった。ヨーロッパの長い歴史の層から染み出る湧水のような音楽。それは、人々の希望を求める心と悲しみだ。幾度も輪唱される言葉の積み重ねは、西洋的なパースペクティブをかたちづくり、宗教的な祈りへと昇華する。この祈りを通してモーツァルトがその両腕の中に捉えたかったもの、それこそが安息なのだろうか。作曲家が残り少ない時間の中で、到達したであろう地平を考える。
 「弦楽のためのレクイエム」は小沢征爾指揮のCDで何度か聴いていたが、やはりライブの演奏は素晴らしい。生演奏では、音の減衰と出現が手に取るように肌で感じることができる。ある音が消えゆく陰から新しい音が生まれ、音が交差したり、ぶつかったり、交わったりするのを体験する。音楽が湧き出る源泉を見た。今日の演奏で私は単純にそんなことを思ったし、実際にそのような演奏だった。
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こぶし [世界]

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 振り上げたこぶしのなんと弱々しく、空疎なことか。戦争は無骨な軍人が始めるのではなく、一人の男の粗末な妄想が引き起こす。特別な待遇を受け、特別な場所にいて、市民生活や社会のことなど露知らぬ人間が自衛隊と市民を他国の戦場へ送り出す。
 今日、与党が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。
 「国民の生命を守るため」は詭弁だ。実は米国の戦争ビジネスに参加するための意思表示にすぎない。妄想とビジネスが交じり合って奇妙なかたちになった。この男が差し出した左手だ。握ったこぶしを広げるとそこにはたぶんなにもない。
 自由を生きることができず、憲法を踏みつける者たち。自由を生きるには相当な勇気がいる。しかし、それをあきらめてはならない。戦争は、自由を最初からあきらめた者たちが始める。そしてその代償を金に求める。原発、基地、武器、戦闘、すべては商品。おかしなことに、本人たちにその自覚は薄い。
 明白なのは、彼らは決して戦場へ行かないということだ。首相と呼ばれている男が握った薄っぺらで貧しいこぶしはだれに向けられたものなのか。同じく今日、米軍普天間基地移設の施設解体工事が始まった。姑息である。
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ジャン・フォートリエの「人質の頭部」 [美術]

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「人質の頭部 No.9」1944年


 「人質の頭部」を見るために、ジャン・フォートリエ展に行く。会場は東京ステーションギャラリー。
「アンフォルメル」(不定形)という一般的にはなじみのない絵画動向の先駆的な画家と位置づけられている。初期には具体性のある絵を描いていたが、徐々に定まらない形になった。キャンバスで裏打ちした紙にペースト状の白を塗った後、それを延ばしたり、刻んだり、ひっかいたりして絵肌をつくり、上から粉末状の絵の具を散らす手法。背景は背景的な役割として色を塗っている。

 緑色の顔をした老婆の肖像をはじめとする1920年代の作品は予想外によかった。特に人物画における光の描写。薄暗い空間に浮かび上がる人体に注がれるあの光はどこからやってくるのか。頭部や人体をモチーフにした不明瞭で粗いタッチの作品には「人質の頭部」への萌芽が見られる。いくつかの人物画や静物画において、見る者の無意識の部分に入ってくるのは闇の存在だ。黒い背景に描いた吊された兎の皮。この黒は西欧絵画の伝統につながる黒ではなく、現代の闇の始まりのように見える。この闇のリアリティはいまのわれわれにとって既知のものだ。闇はかたちがない。この画家ははじめから不定形な表現の資質を持っていた。

 1930年代の作品は少なかったが、皿や果物をモチーフにした数点はとても引きつけられた。静物画としての色彩と構造をもち、深く豊かな世界があり、フランス人特有の気質を感じる。実はこの画家の本領はこの仕事にあったのではないかと思えたほどに。

 そして、第二次大戦期。この悲惨さ、痛みを通過することで画家は変わった。'40年代に始まった「人質の頭部」のシリーズは、奥行きや色彩、マチエールといった絵画を構成する要素とは別のなにかで描かれている。戦争という状況における極限の苦しみや悲しみを表すとすれば、この方法にならざるを得ないのか。画面からは抑圧し虐殺された人間たちのうめき声が聞こえる。してはいけないことをした世界。見てはいけないものを見た画家。目は目として、鼻は鼻として、耳は耳として、存在することを許されない世界。これは人間が新たな荒野へと踏み出した記録だ。殺されたのは、人格であると同時に「感覚」である。

 フォートリエは「デッサンで自分の感動を固定化させる」という。彼の絵はデッサンから遠いように見えるが、デッサンは本質を見極める仕事であり、絵画の骨組みである。彼が描くデッサンは、むきだしの本質をとらえる仕事といえるだろう。また、「まず感動を表すためには、何よりもデッサンによって自分の感動を外に表さなければならない」「どんな形の芸術であろうと、現実(リアル)の一部を含んでいなければ感動を与えることはできない」と語ったという。暗喩ばかりの現代美術との差を思う。

 アンフォルメルと呼ばれた作品群を目にしたときに思い浮かんだのは日本の陶芸だ。まず絵肌が陶器に似ている。色味も近い。しかし、両者には決定的な違いがある。それは前述したリアルに向き合うかどうか、それを作品に埋め込むかどうか。陶芸はこの一線を超えて自然の恒久性に精神を委ね、フォートリエはこちら側にとどまった。いまのわれわれにとって重要なのは後者の仕事なのかもしれない。絵画作品はリアルの航跡だ。手早く仕上げたであろう1940年代後半以降の作品には、彼独自の精神の思索と発揚が見られ、軽やかさからは自由な精神が漂う。

 1950年代、美術の潮流はヨーロッパからアメリカに移る。フォートリエはその潮目に生きた人だ。世界大戦は絵画にも影響を及ぼした。絵画の主たる文脈を思うとき、私はフォートリエからバーネット・ニューマンへのつながりに思いをはせた。そのつながりをかたちづくっているのは「感動」ではないだろうか。前述したとおり、フォートリエの口からこの言葉が発せられ、ニューマンもまた同様のことを語っていた。両者はともに感動に重きを置いて、制作に取り組んだ。一口に感動と言っても、凡庸なものではない。この心の動きについてはさまざまな意味がある。この点については、また後日考察してみたいと思う。

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マリー・ローランサン展 [美術]

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 マリー・ローランサン展を見る。まとまった数のこの作家の作品を見たのは初めてだ。出品はほとんどがマリー・ローランサン美術館所蔵のもの。
 展示は20代のころの作品から始まるが、彼女独自の作風が現れるのは30代に入ってから。そして、40代、50代、60代と年を重ねるにつれ、円熟味を増している。この場合の円熟味とは、色彩のことだ。
 いくつかの白を重ねた繊細な肌の表現とそこに含まれる桃色、半調子を表すグレー、服や帽子に現れるエメラルドグリーンとビリジアン。60歳近くなると、そこに黄色が加わる。これらの色の調和がいい。
 肖像画にピカソに通じるような構造が見えた。十分なボリュームがありバランスがとれ、構造を保つ線が効いている。もっとも、この肖像画がもつ恒久的な安定感はフランス人特有のものかとも思う。それが結晶したのが、本展で展示されている「Musique」(音楽/1944年制作)だ。首飾りを付け、布をまとった半裸の女性と背景のギター。女性のバックには黄色の布のようなものが流れるように描かれている。このイエローオーカーを混ぜた黄色が美しい。一方でこの絵には青が使われている。女性の大きな瞳の中に。
 パリで成功した画家というイメージが強い。ロビーで見ることができる講演会のビデオでマリー・ローランサン美術館キュレーターの吉澤公寿氏が語っているが、この女流画家も世界大戦に翻弄された人間のうちの一人だという。大戦終了後には、ドイツ人と懇意にしたことによりフランス政府に数日間拘束されている。
 マリー・ローランサンが色彩の画家であることを再認識した展示だった。安定した作風の画家であるため、またイラストレーション的な色合いや題材により、これまで軽んじられてきた面は否定できない。しかし、歴史的な文脈における人物画と、色彩画家としての仕事をあらためて見直すべきだと思う。特に日本人はその才能に早くから着目していたのだから。

三鷹市美術ギャラリーにて6月22日まで。
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