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デジタル教科書教材協議会設立シンポジウム [情報化]

 信濃町の明治記念館で開催された「デジタル教科書教材協議会設立シンポジウム」に取材に行く。その内容の一部を列記したい。
 同協議会は略称をDiTT(ディット)といい、デジタル教科書と教材の機能やスペックのガイドラインを決めたり、教育現場での実証実験、会員への勉強会やイベント開催、Webでの情報発信なども行う組織。発起人の一人、中村伊知哉氏によれば、DiTTはオープンな議論の場を設け、プラットフォーム的な役割を果たすとのことだ。会長は、元東京大学総長の小宮山 宏氏。現在は幹事会社19社と一般会員51社の計70社(教科書制作をはじめとする出版社、新聞社、放送局、ゲーム、機器メーカー、ソフト会社、通信会社、広告会社など)で構成され、この数は今後も増えるだろう。
 シンポジウムの会場は満席で、教育関係者や企業の注目の高さをうかがわせた。式では小宮山氏や原口総務大臣の挨拶のあと、発起人代表として、マイクロソフトの樋口泰行社長とソフトバンクの孫 正義社長の講演が行われた。両者とも、現在の日本の学校教育ひいては人材育成に相当な危機感を持っている。いまの日本はかなりヤバイ、このままいったら将来は世界市場の競争の場においてどん尻になるという。樋口氏によれば、いまの日本は「内向き」「ガラパゴス」「エネルギー欠乏症」で国際競争力がない。問題解決力、コミュケーション力、創造力、英語力、ICTスキルを持った、国の戦略にマッチする人材を育てることが急務と語る。マイクロソフトが考えるデジタル教材のデモも行われたが、それは音声や動画、地図などを駆使したしごくまっとうなものだった。
 孫氏の話を聞いたのは2度目だが、今回はかなり気合いが入っていた。彼の口からは「天下国家のため」という台詞がいくども飛び出し、現在の記憶力偏重の学習方法に異を唱え、いま行われている授業の内容は、将来役に立たないことばかりと批判した。このほか今年の新卒の社会人(22歳)は日本の成長を体験しておらず、成長に対する実感をもたない点を指摘。ハーバード大学への留学生の数は中国、韓国とも増えているのに、日本だけが減っている。ハーバード大学学長の言葉「日本の学生は存在感がない」を紹介。さらに、2009年度の家電関係売上の利益総額において、日本勢(日立、パナソニック、東芝、富士通、三菱、シャープ、ソニーなど)の合計はサムスン1社の利益額より低いこと、国内ではほとんどの産業が伸びていないが、情報通信だけが成長分野であることなどをグラフで示した。
 孫氏は教育における提案として、一人当たりの子ども手当13,000円/月の中から280円/月を使えば、デジタル教科書が無償で配布できること(6年リース)、天下国家のため通信費はソフトバンクが無償でバックアップすること、NHKアーカイブスの映像を無償で教材として提供させること、教材はすべてクラウドにアップすることなどを挙げた。議論している暇があったらモデル校増やし、そこで教材も試し、先進的な事例を積み上げていく。現在10歳の子どもが30年後の2040年には働き盛りの40歳となり、競争力のある人材に育つための計画。「全国130万人の先生のうち10人でいい、『命いらん』といって立ち上がって欲しい。そしたら山は動く」。
 講演した二人が繰り返しアピールしたのは、国際競争力を持った人材育成に欠かせない国家戦略的な教育を、デジタル教科書で底上げするという目論見だ。教育環境の停滞について、発起人達はすでにまったなしの瀬戸際だと自覚している。このあと5年でデジタル教科書の義務化を完了させたいと意欲を示した(すでに韓国は来年からデジタル教科書を義務化する)。
 小宮山氏は、知識が膨大に増え、ジャンルの細分化も進んだ現在において教育でデジタルを使う意味は大きく、加えてデジタルの「影」の部分よりも先に「光」の部分が広まることに期待していると述べた。また東京学芸大学客員教授の藤原和博氏はパネルディスカッションで、障害は校長であり、教育改革の妨げとなっている全国小中学校の校長のうちの七割はいますぐ辞めて欲しいとまで言った。校長は「上がり」の地位になっており、そこにたどり着いた人は新しいことに手を出さない。管理はできるが、創造的なマネージメントを行える校長は少ないという。藤原氏が実践する、生徒から発想を引き出す手法は確かに有効だろう。先生から与えるのではなく、生徒から吸い上げる授業。またデジタル教科書は反復学習に適しているという。なぜならば、すぐに苛立つ親や先生とは異なり、子どもが覚えるまで辛抱強く教えることができるツールだからだとのこと。これにより、子どもの自己肯定感が増すとの持論を展開した。
 孫氏をはじめ、このくらいの押しの強さを持つ人がいなければ、教育現場へのデジタル導入は成功までもっていけないとは思う。ひと口にデジタル教科書導入といっても、文科省や教育委員会、校長、親などがそれぞれの考え方を振りかざす時代。そして当然そこには大きな利権も絡む。デジタル教科書・教材を義務化まで進めるには相当な苦労と議論が必要になるのは明らかだ。勢いに乗る韓国は4年で達成したという。勢いだけでなく、国が一丸となれる理想があったのだろう。その裏には儒教の精神が残っているはずだ。一方の日本にあるのは、'80年代の成功体験。頂点に立ったという記憶は、これからの人間には実感のない過去の話だ。かといって、「デジタル」だけではなにかが足りない。
 それにしても、危機意識の中身は人によってさまざまだ。私は、子どもが通った中学校での経験から、いじめ、校内暴力、不登校、学級崩壊、学年崩壊、部活の種類の少なさなどが問題としていまでも心に残っている。現在の課題すべてをデジタルで解決できるわけではないのは明らかだ。情操教育や人間関係、礼儀、美術や音楽をはじめとする文化、スポーツなども見直す時期にきている。特に修復が必要なのは人間関係(感情)と感性ではないだろうか。いまとなっては、これだけでもたいへんな課題だ。人間性のベースができていなければ、どんなデバイスや教材が来ても意味がない。

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ソフトバンク社長 孫 正義氏

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東京学芸大学客員教授 藤原和博氏

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デジタル教科書教材協議会設立シンポジウム
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理系世界 [情報化]

 会社の同僚やフリーで働く取引先の人々を見ていると、パソコンの新機能やインターネットの新しいサービスを軽々と使いこなしている人が多い。彼らの商売道具はパソコンなのだが、その「軽々」に私はいつも少し驚く。新機能や新サービス自体をどこで知り、使い方をどう覚えたのか、聞いてみたくなる。彼らを見ていると、わざわざ雑誌や書籍などを買って情報を得ているとは思えない。特に、インターネットに登場する新しいサービスはほとんどが米国で生み出されている。当初は日本語の解説書などあるはずもない。にもかかわらず、提供された機能を把握し、使う際の設定のコツをいち早く心得ているのには感心してしまうのだ。

 その点、私などは新機能や新サービスに気づくこと自体がすでに遅く、知っても、登録や設定を行う時点で内容や英語表記につまづき、利用を断念することもある。Twitterなどもそうだったが、ネットで使い方を調べたり、彼らのやり方をまねてようやく利用できるようになる始末。

 PC/IT系の世界をなにかに例えるなら、数学の問題を解くことに似ている。鍵となる方程式を知っていれば、面白いように問題が解ける。彼らは基本となる方程式を知り、問題をどこから解いていけばいいかの作法を心得ている。要するに勘がよく、「のみ込み」が早い。

 主に30代の彼らに理系か文系かを尋ねたことはないが、その吸収の速さと情報の使い方は明らかに理系のそれだと思う。なぜならば、それは身体性ではなく、「脳化」に立脚しているからだ。身体性を経由すると、のみ込みには時間がかかる。「体で覚えろ」というやつだ。もとより、インターネットのサービスやソフトウエアの新技術・新機能に手業の入る余地はない。マウスやキータイピング、そしていまどきのiPadのタッチパネル操作が身体性かというと、それらは間違いなく脳の延長であり、脳化の範疇。手と視覚と画面の間に介在するものは皆無だ。

 理系=脳化というのは短絡的かもしれない。しかしいまの社会のインフラが、理系の成果物ともいえる「プログラム」によって成り立っているのは事実だ(でも、プログラムは「言語」でできているのだが)。文系のほうこそ脳だけの世界にも思えるが、そこには必ず身体性が伴う。痛みや苦しみ、感覚がある。いまどき、理系、文系などと言っているのは私だけだろうが、次々に登場する機能やサービスを難なく使いこなす彼らに囲まれていると、数学の問題が解けなくて居残りになった高校時代を思い出す。方程式に気づく奴は早々と気づき、定時に帰る。気づかない奴はいつまでも気づかず。それが分かれ目だ。
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