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突然の頸部超音波検査 [生活]

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 年に一度の人間ドックに行った。朝8時に健診センターに着く。採血から始まり、いつもどおりの検査項目が半分ほど済んだところで名前を呼ばれ、看護師らしき女性がやってきた。そして小声で、胸部レントゲンの結果少し気になる個所があるため、頸部の超音波(エコー)検査を受けてほしいと言う。また、検査終了後に医師の診断も聞いてもらいたいのだが時間はあるか、とのこと。詳しい状態は分からないが、断る理由はないので承諾した。少しの不安がよぎり、2011年3月と5月の自分の行動を思い起こす。それは、3月15日と21日ごろの東京が放射能汚染された日に外出したこと、そして5月の連休に浜通りの津波被災地を歩いたことだ。もしかしたらあのときに放射性物質を吸い込み、甲状腺に異常が出たのだろうかと思いながら、自分の喉のあたりを触ってみる。通常の検査がすべて終わったあと、一人だけ居残りを命じられたような気分で超音波の検査室に入った。
 ベラルーシや福島子供たちが甲状腺を調べるために喉の超音波検査を受けている映像を思い浮かべながら、診察台に仰向けになった。自分もとうとう同じ事態に陥ったかと複雑な気分になる。喉仏や鎖骨の上のあたりにハンディスキャナーのようなもの(「トランスデューサー」または「プローブ」というらしい)を当てられ、10分ほど念入りに調べられた。モノクロのモニターには断面の画像が映し出され、検査を受けながらそれを上目遣いに見た。気道周りを縦方向と横方向の要所で撮影し、ときに寸法線のようなラインを画面上に入力してなにかを測っていた。たぶん、甲状腺のサイズを見たのだろう。ときどき強く押しつけられる。こういうときはじっくり調べられるほど、異変があるのではないかと疑念がわいてくる。検査の終了後、技師の女性に「なにかありましたか」と聞いてみた。しかし彼女は、のちほど先生のほうから、とだけ答えてあとはなにも言わなかった。当然ながら、検査技師の職域はここまでだ。
 それから30分ほど待って、医師面接の部屋に通された。モニターに胸部レントゲンの画像が2つ表示されてある。医師の話は心に広がり始めた心配を払拭する内容だった。胸部レントゲンで気道の湾曲が確認されたので、その周囲を調べたのだが、なにも異常はなかったという。画像では確かに気道が左側に曲がっている。なにかのタイミングでそのように写ったのだろうとのことだった。のう胞や甲状腺の異常はなかったのかと聞くと、そうですと答えた。今回あらためて正常であることが分かりましたね、というようなことを穏やかな表情で言われ、甲状腺の位置を教えてもらう。その後、その日の各検査で分かった範囲の結果を基にいくつかアドバイスを受けた。
 疑いが晴れて面接室を後にした。ちょっとした異常を見逃さず、検査してくれたのはありがたい。そして思ったのは、頸部超音波検査を息子にも受けさせたいということ、あるいは福島県はもちろん、東北や関東のすべての人々が受けるべきということだ。時間と手間、人件費は多少かかるが、原発事故後の日本においては実施して当然の検査だ。結果は率直に受診者に伝え、為政者はその統計を包み隠さずに広く公開しなければならない。定期的に観察し、なおかつ市民を含め情報や知識を蓄積、共有することが望ましい。まずは知ることから始まる。

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一過性全健忘 [生活]

 こんなことをブログに書くのもどうかと思うが、昨夜突然記憶が飛んだ。妻によれば、夜中の3時ごろ何度も「今日は何日だ? 何曜日だ?」「○○(息子の名前)はどこに行った?」「記憶が飛んでる」と言って彼女を起こし、閉口させたらしい。そんなことを言った記憶も頭の中には残っていない。息子は昨年から、妻の実家で生活している。
 今朝、目が覚めて前夜の記憶がないので、寝る前に必ず書く日記をめくると、昨日の欄には日付と曜日しか書かれていなかった。寝る時点ですでにその日の記憶が失われていたらしい。ときどき、酒を飲み過ぎて家に帰るまでの記憶がない、などという話を聞くが、私が今回失った記憶の量はそれどころではない。ちなみに、私はアルコールは飲めないくちだ。昨夜は普段どおりの時刻に退社し、三鷹駅の紀伊國屋でパンを買って帰宅した「らしい」。夕食にチャーハンを食べたことはかすかに記憶に残っているが、寝るまでの(正確には翌朝起きるまでの)記憶がほぼ消えている。そのせいで、夜中におかしい感覚があったことはなんとなく覚えていた。
 なにも書かれていない日記を見て、さかのぼってどのくらいの記憶が飛んだかを推測した。前日の昼間、行った場所と会った人、歩いた道などの記憶はある程度残っている。しかし断片的で薄く、一昨日の出来事に至っても連続した記憶をたどれない。記憶に厚みがなく、喪失したのが数日分なのかもっと多いのか、それすらもあやしい。現在抱えている仕事やかかわった人名などでスムーズに思い出せない部分があった。昨日持ち歩いていたカメラの画像を再生すると、会社からの帰路、とある店の地下への入り口、そして線路と地下鉄を4枚ほど撮っている。店の入り口は覚えているが、そのあと地下鉄を撮ったことはまるで思い出せない。
 混乱しながらも今日の午後、風景画を描きに出かけようとしたら、自転車の後輪がパンクしていた。近くの自転車屋に修理に持って行き、夜引き取る。落ち着かない気持ちで一日家の中に居た。念のため、デッサンを3枚描いてみた。久しぶりに描いたせいなのかもしれないが、目と絵画脳も退行したように思えた。感覚がしっくりしない。絵画の仕事の蓄積も記憶と関係はあるだろう。
 初めての経験だが、記憶がなくなるのは、かなり恐ろしいことだ。治まっている神経症が顔を出してくるほどに。まだらな記憶ゆえ、当然連続性がない。精神が宙ぶらりんの状態に置かれ、自分の存在が危うくなり、不安に襲われる。記憶をサルベージするほどに怖くなった。同じ福島県出身の画家・高村智恵子の最期が頭をよぎる。一日が過ぎだいぶ落ち着いたが、いま書いているこの文章ですら、まともに表記できているのか自信がない。人間は連続性の中で生きていることを思い知る。日常とはすなわち連続性のことなのだ。
 記憶喪失の原因は見当がつかず、悪いモノでも食べたか、どこかで事故にでもあったかなどと推測した。いずれもその形跡はなさそうだ。ネットで調べた妻は「一過性全健忘」ではないか、と言った。解説を読むと、該当する点がいくつかある。中年以降の世代で原因不明の記憶喪失が突然起き、24時間程度で症状は治るという(ただし、その間の記憶は戻らない)。素人判断なのであてにならないが、いまのところ症状としてはそれが近い。とはいえ、脳卒中や認知症などの可能性もある。来週医者に行き、場合によってはMRIで診断してもらおうと思っている。

追記:
後日、地元の中規模の病院に行き、脳神経科の医師に症状を説明すると、MRI撮影を勧められた。MRI検査の結果、脳に確認できる異常は見られないとのこと。「一過性全健忘」だろうとの診断だった。来院者がときどきくる症例だという。治療方法や薬はなく、もしさらに今後なにかあれば、再来院するようにと言われる。
タグ:記憶喪失
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引越し業者 [生活]

 12年ぶりに引越しをした。同じ町内での移転。アパートからアパートへ。引越しの理由はいろいろあるが、道路の拡張工事とそれにともなう取り壊しによる騒音と振動、ときどきやって来る暴走族の爆音から避難するため。また2階建ての2階のうえ、安普請の陸屋根からくる夏の暑さも度を超していた。
 引越し作業は業者に依頼した。3社から見積もりをとり、どこも悪くはなかったが、アート引越センターに決める。引越し後の家具移動などの無料オプションが充実していた。この町内では同社の車両をよく見かけ、勝手なイメージだが、少数精鋭で対応がよさそうな気もした。当日は30代後半のリーダーと20代、10代の計3名が2.5トントラックでやって来た。ずいぶんと若い作業員たちで意外だったが、引越しで肝心なのは体力と迅速さなので、若いほうがいいだろうくらいに思う。朝8時にスタートし、こちらは遅くまで梱包をしてもまだ手を付けていないところがあり、そこは業者が率先して梱包してくれた。
 作業員は慣れた段取りでどんどん荷物を運んでいく。不明なものはこちらに確認をとりながらトラックに積む。こちらの気が回らない物はそれなりに。彼らはなにから運ぶか、どう運ぶかを的確に判断していた。家具を包み、パソコンなどを入れるケースの用意も滞りない。移転先の家具レイアウト図を渡したが、それを正確に読み取り、ある程度の使い勝手も考えながら家具や荷物を配置していく。指示をするリーダーはてきぱきとしていた。
 作業が終わって感じたのは、気配りと整然とした仕事の進め方。料金は決して安くはないが、こちらの未整理なところをフォローし、それなりに区分けして運んでくれた。このサービスのクオリティはもしかしたら日本ならではのものかもしれない。他国の引越し事情は知らないが、ここまできちんとした作業を行う輸送サービスは提供されていないように思う。日本の引越し業は世界に打って出ても十分通用するだろう。たしか、ヤマト運輸は宅配業で中国に進出したはずだ。米国の知人によれば、かの国では日本人のラーメン職人による店は人気上々とのことだった。宅配や食べ物も可能性は大きいが、日本ならではの引越しサービスを「HIKKOSHI」として輸出してみるのもいいかもしれない。
タグ:引越し
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NTTの代理店 [生活]

 来月に引っ越しをするつもりだ。今のアパートにはすでに12年も住んでいる。この間にたまった部屋の物を少しずつ整理する日々。今日は天候が悪いので、部屋にこもって"積ん読"の本を段ボール箱に詰めた。その作業に一区切りつけ、Googleで「ntt 光」を検索。一番上に表示されたNTTのWebサイトにアクセスし、電話で光回線契約の問い合わせをした。今はインターネット接続と固定電話用としてKDDIの光回線を使っているが、引っ越し予定先のアパートでは基本的にNTTの光回線サービスしか使えない。電話に出た女性に現住所と移転先住所を伝え、乗り換えの段取りや費用・料金などサービス概要を聞いた。
 現在キャンペーンで2万円のキャッシュバックもあるというので、ひととおり説明を聞いたのち、仮の契約をすることにした。説明を聞く中で、NTTだと思って話していた相手が、実はその代理店であることがわかる。あとでよく見たら、Webページの右上のほうに小さく会社名が書いてあった。NTTに似たデザインのWebサイトだったのだ。こういう手合いに引っかかる点で、私も焼きが回ってきたらしい。しかもそのときは、「最近はNTTも直接受付をしないで、すべて代理店が請け負っているんだな」などと馬鹿な納得をした。これも老化か。
 作業の日程なども押さえ、話が固定電話の電話番号に及んだ。すると相手は意外なことを言う。移転先では現在の電話番号が使えなくなるというのだ。引っ越し先は丁目が違うだけで同じ町内であり、以前同じ町内で引っ越した際も番号は変わらなかった。KDDIに変えたのは昨年の5月で、その前はNTTであり、番号ポータビリティ制を使って同一電話番号で済ませることができた。番号が変わってしまうのはおかしいし、なんとかならないかと伝えたが、「局が変わりますので」「物理的に無理です」などと言ってラチがあかない。仕方なくそれで了承して仮契約を済ませ、電話を切った。
 納得がいかず、電話を切ったあとであらためて本家NTTのWebサイトにアクセスし、表示された問い合わせ先に電話をかけた。そこで現住所と引っ越し先の住所を伝え確認したところ、同一局内なので番号は変わらないという。ここで先の代理店の魂胆に気がついた。NTTの担当者の話では、その代理店が提供するサービスパッケージの条件として、電話番号の新規契約が入っているのだろうとのことだった。つまり、番号ポータビリティ制を隠し、なおかつ調査もせずに申込者に新規番号による契約を誘導していたのだ。それにより何らかの利益を上げている可能性が高い。
 再度この代理店に電話をかけ、番号が変わらない旨を担当者に問いただすと、あっさりと虚偽を認めて謝罪し、「弊社の認識不足でした」「同一番号を利用する場合は3500円別途費用がかかります」などという。虚偽の勧誘である点を指摘して抗議し、契約をキャンセルした。
 以前であれば、このような落とし穴にははまらない注意力があったのだが、年齢のせいかどうもそれが鈍ってきたようだ。元を正せば、Googleの検索で一番上に出たためNTTのサイトだと誤解した。トップに表示されるサイトがオフィシャルなものとは限らない。広告費を多く払っている会社が目立つ位置にくるだけの話だ。会社というのは、利益を上げるために、独自の”網”や”エサ”を仕掛ける。それが正当性を持つものであればいいが、今回のようにほとんど虚偽行為の場合もある。無駄な時間を費やしたが、URLのドメインの確認は怠ってはいけないと反省し、戒めになった。
 
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福島の桃 [生活]

 先週半ば、三鷹駅前にあるスーパーの棚に福島県産の桃が並んだ。品種は見なかったが大玉の部類で、4個パックで398円、単品98円で売られていた。たぶん例年に比べたらかなり安い値付けだろう。棚の上には印刷したPOPが付けられ、「モニタリング実施済み!! 暫定規制値を下回っていることを確認しています〜」という文を福島県知事の言葉として掲げていた。
 果物における放射性物質の暫定規制値はほかの食品同様500ベクレル/kgだ。POPには具体的な数値は記載されていなかった。そのため、検出された値が3桁なのか2桁なのかはわからない。もとより、規制値の500は諸外国の値よりも数十倍〜数百倍高い(果物はウクライナで70ベクレル/kg)。私はその桃を買おうかと少し迷った。放射性物質に汚染されていても、少しならいいのではないかという心理が働いたからだ。
 棚の状態からすると、福島県産の桃はそれなりに売れているようだった。外観はいかにも甘みがあってうまそうに見えた。私は福島県出身なので、故郷の桃や梨のうまさはよく知っている。特に今年のような暑い夏は出来がよく、とても甘い。放射能汚染の心配がなければまったくおすすめの品である。
 迷った末、私は福島の桃を買わなかった。代わりにその向かいにあった山梨の桃、2個で680円を買った。私は神経質すぎるだろうか。すでに体内にいくばくかの放射性物質を取り込んでいるのだから、桃の一つや二つでじたばたしても仕方がないのかもしれない。市民は皆、「少しくらいならいい」、あるいは福島の農家を応援する気持ちで福島の桃を買ったのだろう。翌日再びその店に行ってみると、桃は残り少なくなっていた。正直なところ、桃を見るとやはり買いたい衝動にかられる。
 私は身体に取り込む放射性物質の量をなるべく減らす努力はしたいと思う。米国科学アカデミーの委員会の報告[*1]どおり、「取り込んだ量がこれ以下なら影響はない」というしきい値は存在しない。少なくても健康被害は起きる。「少しなら」というのは、学者や政府がいう「ただちに健康に影響はありません」に通じてしまう考えなのではないだろうか。
 とはいえ、私は数日前いわき市に帰省した際に父母の菜園でとれた野菜を食べ、5月に行った際には地元で穫れた筍も食べた。福島県に限らず、国内の各地で汚染の報告がなされている。毎日食べている物は、たとえ山梨産の果物であっても、それが安全なのかどうかすらわからない。実のところ、もはや事態は滅茶苦茶であり、混乱しているのだ。福島県の汚染された牛でさえ、他県に売られたという。事故以前の法的被曝規制である年間1ミリシーベルトを自ら破り、放射能を軽視する政府はまったくあてにならず、疑えば、国産のものはすべて口に入れられなくなる。それを防ぐ意味で考え出されたのが暫定規制値だ。ただし「暫定規制値」は緊急時における無理矢理引き上げた値であって、「通常の基準に当てはめると食べるものがなくなるので、やむを得ず短期間はこの値のものでも食べましょう」ということだ。一方で放射能汚染拡大の事実は日々明るみになっている。水に始まり、野菜、魚、果物、そして牛へ広がった。この先は、今年収穫される米へと続くだろう。汚染は短期間ではなく、今後数十年あるいはそれ以上長期間になるのは確実だ。
 つまり本当は、「少しなら」という判断はあり得ない。「少しなら」という毎日がこの先何年続くかわからないからだ。であれば、いかにうまそうな桃であっても、汚染の危険がある食物(あるいは汚染度の具体的な表示がない食物)は食べないほうがいい。特に子供には絶対に食べさせてはならない。これは風評とは異なる。あとはリスクをどうとるか、いわゆる「リスクヘッジ」にかかってくる。リスクがゼロになることはないという前提で、なるべく放射性物質の摂取(累積線量)を抑えたい。
 確かに、低線量被曝の影響はいまだわかっていない部分もあるだろう。しかし、チェルノブイリやベラルーシなどにおける'90年〜現在に至る市民の健康被害の状況を知るにつれ、低線量被曝の影響は甚大だと思わずにはいられない。「ただちに影響がない」などというのはとんだ馬鹿野郎の台詞である。これから5年後、10年後、市民に健康被害が現れたとき、その馬鹿野郎どもは札束を持ってどこかに雲隠れして悠々自適に暮らしていることだろう。今回の福島第一原発から飛散した放射性物質の総量は膨大であり、いまも空気中[*2]や海中[*3]に放出され、土壌への浸透が進む。われわれが想像するよりも放射能汚染の被害ははるかに大きく、われわれは今そのただ中にいるのだ。

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スーパーで販売された福島県産の桃(産地:伊達市)・8月24日撮影

追記:
カタログハウスの店・東京店では、2回の検査実施による福島産の野菜を毎日販売するという。
http://www.cataloghouse.co.jp/shop/event/fukushimasan/
 

【Glossary】
[*1]米国科学アカデミーの委員会の報告——「利用できる生物学的、生物物理学的なデータを総合的に検討した結果、委員会は以下の結論に達した。被曝のリスクは低線量にいたるまで直線的に存在し続け、しきい値はない。最小限の被曝であっても、人類に対して危険を及ぼす可能性がある」。

[*2]空気中——日本原子力研究開発機構は8月22日、東京電力福島第一原発の事故で大気中に放出された放射性物質の総量は57万テラベクレル(テラは1兆倍)とする解析結果をまとめ、原子力安全委員会に報告した。(出典:asahi.com)

[*3]海中——東京電力と経済産業省原子力安全・保安院は4月15日、東電が4日から10日にかけて福島第一原子力発電所から意図的に海へ放出した比較的低濃度の放射能汚染水が、合計1万393トンにのぼったと発表した。含まれる放射能の量は、ヨウ素131やセシウム137などを足し合わせて1500億ベクレル。(出典:asahi.com)
 
タグ:福島の桃
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花見と足湯 [生活]

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 友人のS氏宅で花見をする。場所は横浜の金沢区。ただし今年の3月は寒さが続いたせいか桜はまだ二分咲きほどだった。S氏宅での花見は恒例となり、すでに10年以上友人たちが毎年集う。ここ数年は、花見のほかに彼が屋上に設けた足湯が愉しみとなった。デッキに埋め込まれた樽のような丸い桶に3、4人が足を浸けながら酒を飲み、歓談するのだ。これが実に気持ちいい。開花が進んだ時期ならば、桜の花びらが湯面に浮かぶ。
 先月起きた震災で避難所生活を続ける人々に、ボランティアや看護士などが、足湯のサービスを提供した映像を見た。段ボール箱にビニール袋を入れて作ったたささやかなものだったが、被災者は皆感謝し、気持ちよさそうなその姿が印象に残った。風呂に入れないような状況では、足湯であってもありがたいだろう。見ているこちらまで、気分がゆるむニュースだった。
 世間では、自粛という言葉が一人歩きしている。私はいま自粛することの意味がさっぱりわからない。震災で亡くなった方々を思い、弔う心を持つのは当たり前だが、行事を行うことが、故人や被災された市民の気持ちを踏みにじるものだとは思わない。日々の営みや活動を停滞させるのは、自粛ではなくただの萎縮だ。われわれは、動きのとれない東北のぶんまで、動かなくてはならない。
 今回の震災で思い知らされたことはたくさんある。自然の脅威はむろんだが、現代における日常生活のなんと脆弱なことか。あれだけの大地震であれば、被災地はやむを得ない。しかし東京でも列車のダイヤが乱れ、計画停電が行われ、パンやカップ麺、牛乳、ミネラルウオーター、トイレットペーパーなどが品不足になった。われわれは、日々当然のことのようにそれらを利用してきたが、実はわずかなことでその維持は困難になる。しかも今回は、物流に関して買い占めという行為が問題になり、適正量の供給があっても、オイルショックを経験した世代がそれを台無しにしてしまった。
 3月11日を境にして、われわれの社会は何かが大きく変わった。変わってしまった。この変化は実に深く重く、高度経済成長のころとは事情が異なる。なによりも、繁栄と引き替えにわれわれは多くのリスクを背負ってしまったからだ(本当は、繁栄とは無縁の理由なのだが)。放射能の影響は今後、われわれの予想を超える状況を作り出すだろう。原発に反対でも賛成でもないと言っているのんきな人々も驚くほどの。
 そしてこれから必ず起きる地震の恐ろしさ。例えば、関東での直下型地震や東南海地震が起きたら、日本の経済は早晩破綻する。本来ならば、それを前提として物事を進めなければならない。そういう時期に来ていることは明らかだ。にもかかわらず、浜岡原発は今日も核燃料を燃やし続けている。まだ来ぬ地震も放射能も、目には見えない。怖いのはその両者よりも、それが確実にわれわれの現実を取り囲んでいることに気がつかないことだ。恐怖のまっただ中にいるにもかかわらず、恐怖に気がつかない。これから日本人は、常にリスクと付き合いながら歩むことになる。リスクを考えずにエネルギーを使い、物を消費する時代は終わった。物や金に囲まれていれば、あるいは経済が回っていれば、安心・安全と思うのは幻想だ。同時に、企業の役割も変わるだろう。儲けばかりを追い求めるのなら、東電の二の舞だ。
 周知のとおり、政府や官僚はもはやあてにならない。目の前に積まれた税金の山を見て、大きな勘違いを犯してしまう人たち。それもやむを得ないのだろう。彼らには、できるだけ市民の邪魔をしないで活動してくれるよう望むばかりだ。被災地に赴いたボランティアや看護士のほうが、自らの立場と市民の窮状をよく理解している。これから必要になるのは、市民一人ひとりが自分の役割を全うすること、そして市民同士のつながりになるのではないだろうか。それが新しいパブリックになる。
 われわれは、'80年代の享楽を味わい、'90年代の停滞と2000年以降の凋落も経験した。そしてこれから、なんだかわからない霧の中へ踏み込んでゆくことになる。これ先この国がどうなるのか、まったく見当がつかない。
 さて、花見と足湯の話に戻ろう。どんなことがあっても花は咲き、春は来る。花見ができなくなったら、世も末だ。桜は一週間ほどで満開になるだろう。足湯に浸かっているときは、このところ続いていた重苦しさから開放され、息抜きができた。S氏のおかげでじんわりと元気が出た。皆で飲み、語り合い、S氏のつくった餃子や焼きそばなどを食べるうちに日が暮れる。友人はありがたい。

タグ:花見 足湯
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危ない青信号 [生活]

 先々週の夜、帰宅途中の三鷹通りでクルマに轢かれそうになった。正確にいうと、横断歩道で信号待ちをしていて青信号になったため渡ろうとしたが、ちょっとした勘が働いて自転車をひとこぎ進み出さなかったので轢かれずに済んだのだ。クルマ(乗用車)は明らかな信号無視で、信号が変わった2、3秒後に減速もせずかなりのスピードで私の目の前を通過していった。私は信号機の電柱の影にいたため、運転手は私の存在には気づいていなかったはずだ。まったく同じ経験を昨年、八幡神社の横断歩道で経験したことを思い出した。その際も、すぐに踏み出さなかったのが幸いした。わずか3秒もない時間の差が生死を分ける。
 さらに先週の土曜日は、東八道路のやはり横断歩道で、完全な信号無視のワゴン車が数m前をこれまた減速もせずに飛ばしていくのを目撃した。このときは少し遠くから走ってくるそのワゴン車が減速する気配がないのが寸前でわかった。青信号になったからとうかつに歩き出さなかったのではね飛ばされずに済んだ。隣にいた男性は、赤信号を平然と走り去るワゴン車に目を丸くしていた。思い起こせば、ここ数年そんなクルマが増えた。もちろん、悪いのはクルマではない。運転している人間だ。
 そして昨日、同僚の女性がクルマに轢かれそうになったとTwitterでつぶやいた。詳しく聞くと、私と同じような状況だったらしい。彼女も、「あと数秒どちらかが速かったら危なかった」とのこと。このわずかな時間の交差により、多くの人は亡くなるのだ。
 過去10年連続で交通事故の死者が減少傾向にある(平成4年を境に減少傾向。平成21年の警察庁発表による交通事故死者数は年間5,772人=30日以内に死亡の場合。ただし平成20年厚生労働省発表では年間7,314人)という警察庁の発表が報道されている。発表のグラフを見ると、負傷者数、事故発生件数ともに平成16年を境に減少を示す。しかし自分の体験に照らし合わせると、そんなはずはないと思ってしまう。私ひとりでもこれだけひどい運転手を目にしている。無謀な運転者が増えているのに、そう簡単に減少に向かうだろうか。そこには、数字のトリックがあるような気さえしてくる。
 仮にもし交通事故の死亡者数、負傷者数、事故発生件数が減少しているとしたら、それは、飲酒運転の厳罰化やシートベルト装着の徹底によるものではなく、歩行者や自転車側が、クルマに轢かれないように「気をつけている」からにすぎない。要するに、殺されないように注意している。無謀な、予測運転などみじんも考えていない大馬鹿な運転者が増加していることを歩行者側は知っているのだ。それだから、命を守るために、信号が青になったからといってすぐに横断歩道に踏み出さない構えが身についた。青信号を信じて死ぬのだったら、赤信号でもクルマが来ないのを確認して渡ったほうがましだ。この姿勢はたぶん欧米では当たり前のことかもしれない。
 また、歩行者や自転車に乗る人は、クルマに轢かれたらまったくの「死に損」だということも学んだ。無謀運転や飲酒運転で人をひき殺して刑務所に入った犯罪者が、わずか数年で出所できるのが現実だからだ。これほど人の命が軽い時代はないだろう。馬鹿に殺されないよう、十分注意したい。
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群馬の女の子 [生活]

 群馬県の小学6年生の女の子が自宅で自殺した事実が心に食い込む。その子をそこまで追い詰めたものはなにか。なぜ死ななければならなかったのか。かわいそうでならない。
 いじめという行為はなくならないと私は常々思っている。もちろん、それは子どもだけが引き起こす行動ではなく、大人が素地を作る。これを防ぐには子どもを戒めることだけでは収まらない。大人(親と教師を含むすべての大人)も、子どもが他人を傷つけるような精神を生み出さぬように、相当な努力を重ねるか、あるいは不安のない安定した環境を作り上げる必要がある。しかしそれは現実的に不可能だ。一見怠惰に見えながら、世界はざらついたヤスリのような仕組みの上でギシギシ音を立てながら動いている。大きな矛盾を抱えた人々の生存競争は止まらない。その歪みは子どもに影響を及ぼす。同時に、人間には同類への攻撃衝動が本来的に備わっており、それが強く出る人間が必ずいる。
 次にわれわれが考えなければならないのは、いじめられたり、嫌がらせを受けたりしたときにどう対応するか、ということになる。「いじめ」などとひらがな3文字で簡略して表現されるが、その実体はかなり悪質な行為だ。場合によっては、壮絶な暴力や殺人とさほど変わらない。しつように人格を否定し、疎外する犯罪。残念ながら、学校の先生にこれを防ぐ力はない。
 群馬県の女の子も耐えたのだろう。しかし、それには限界がある。彼女は登校するたびに胸に刃物を刺しこまれ、心を傷つけられた。ライオンが群れからはぐれたシマウマを逃がさないように、彼女に目を付けた「犯人」たちは疎外を繰り返した。新聞を読むと、やはりこの子の親は学校に対策を望みながらも、次の転校が決まるまで頑張ろうと励ましたという。心から血が流れているときに、耐えろと言うのは間違っている。教えるべきは、ほかの道があるということである。追い詰められたとき、「頑張ろう」という一本道の先は崖だ。暴力から逃げる道を伝えるのが親の役目だと私は思う。

彼岸 [生活]

 昨年亡くなった伯父の墓参りに板橋に行った。その際、伯母から1枚のポジフィルムを受け取る。いまから45年前にいわき市で撮影された集合写真。大きな木造家屋の玄関前、親類一同と近所の人たちが20人ほど並ぶ。この写真を撮ったのは、私の亡き父だ。セルフタイマーで撮ったため、父本人も列の端に写っている。伯母によると、この撮影の2、3時間後に父は亡くなったという。
 集合写真を撮ったこの日は、戦時中に病死した祖母の法要だった。それで皆が集まり、墓参りを済ませ、食事をとり、酒を飲んでいる最中に、父は川で事故死した。享年32歳。奇しくもこの日は私の2歳の誕生日だった。私と母は東京で父の帰りを待っていた。本来であれば父は、法要を終えたのち、3時の列車に乗って東京に戻る予定だったとのこと。亡くなったという知らせを聞いた母の悲しみを思うと胸が深く痛む。私はいまだにその日のことを母に聞けないでいる。父の弟は知らせを聞いて急遽帰郷したが、兄の死という事実を前にして玄関に立ち尽くし、しばらく家に入れなかったと伯母は話した。
 この集合写真を撮った一眼レフカメラ「ペトリV6」はいま、形見として私の手元にある。カメラに興味を持ち始めた子供のころ、ペトリのシャッターを切って、その感触を楽しんだ。「カシャッ」と手応えがあるいい音がして、私はいまだこれ以上感触のいいカメラに出会ったことはない。伯母によれば、亡き父もそのシャッター音が気に入っていたという。血はつながっている。
 父の死は、私と母の人生を変えた。いろいろな場面で、生きていればどうだったろうかと考えることがある。自分の性格も変わっていただろうか。いや、それはまた別の話か。伯母は最近、会うたびに若き日の父の思い出を語ってくれる。私はそれを記憶にとどめ、頭の中で反すうする。それがいまの自分に跳ね返り、見えてくるものがあるのだ。

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マイナートランキライザー [生活]

 2年前の夏に神経がおかしくなった際、心療内科を受診して処方された薬をずっと服用している。毎朝2錠365日。処方箋には朝・昼・晩に飲むように書かれているが、副作用や依存状態になるのが怖いので、1回にとどめている。とはいえ、365日服用していたらすでに依存のようなものかもしれない。
 ネットで調べると、「デパス」というこの薬は代表的なマイナートランキライザー(抗不安薬)として紹介されている。吉富製薬が開発した純国産薬なのだという。私が飲んでいるのはそのうちでいちばん成分が軽いものだ。効果はおよそ6時間持続する。このほかにもう1錠同種の「アビリット」も併用し、体調のよしあしにかかわらず毎朝飲む。どんな薬にも副作用はあるものだが、両者はそれが少ないとのこと。私の場合何も不具合はないが、信用しているわけではない。長期間の服用はなにがしかの影響があると思っている。
 日々の平衡が薬によって保たれているのは、なんとも不健康ではある。本当はすでにさほど必要がないことはわかっている。この点は心療内科の医師も認識しているだろう。休日は飲まないこともある。しかしこれまで、神経的な閉塞感は休日にやってくることが多かった。なにもしていない時間があなどれない。医師は、さほど深刻に考えずに、気軽に薬を利用していいと言った。2年服用したせいか、状態はかなり改善した。それでも、たまに崩れることがあるので、予防的な服用となっている。
 薬(クスリ)といえば、その昔のジャズプレーヤーや作家などが頭に浮かぶ。種類は異なるが、クスリとアルコールで死んでしまった人は多い。原因の違いこそあれ、同じ苦しみがあったかもしれないと思う。例えるなら、神経が精神をともなって解放されずに、四角い箱の中に閉じ込められた状態。クスリはその箱のふたを少し開けてくれる。それで息抜きができる。本当はふたなど簡単に自分で開けられるのはわかっているのだが、それがどうしてもできない。
 依存するもの。ある人にとっては、煙草や酒がそうだろう。人間は、なにかしらに依存している。特に年をとれば身体か神経のどこかにガタがくるので、20代のように軽やかに自立することはなかなか難しい。自分の身体あるいは神経のゆれとうまく付き合う方法を見つけなければならない。1粒の薬品がそれを補助するのなら、それもいいだろう。問題はそれがいつまで続くのかということだ。ずっと飲むと考えると、やはり気が重い。私は、いつかはこの状態から抜け出せると、根拠のない希望を持っている。箱から抜け出して、どこか別の土地に行って暮らすのだ。ずいぶん月並みな望みかもしれない。しかし、ささいなことであれ、誇大であれ、望みをもつことは最も大切だ。

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