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突然の頸部超音波検査 [生活]

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 年に一度の人間ドックに行った。朝8時に健診センターに着く。採血から始まり、いつもどおりの検査項目が半分ほど済んだところで名前を呼ばれ、看護師らしき女性がやってきた。そして小声で、胸部レントゲンの結果少し気になる個所があるため、頸部の超音波(エコー)検査を受けてほしいと言う。また、検査終了後に医師の診断も聞いてもらいたいのだが時間はあるか、とのこと。詳しい状態は分からないが、断る理由はないので承諾した。少しの不安がよぎり、2011年3月と5月の自分の行動を思い起こす。それは、3月15日と21日ごろの東京が放射能汚染された日に外出したこと、そして5月の連休に浜通りの津波被災地を歩いたことだ。もしかしたらあのときに放射性物質を吸い込み、甲状腺に異常が出たのだろうかと思いながら、自分の喉のあたりを触ってみる。通常の検査がすべて終わったあと、一人だけ居残りを命じられたような気分で超音波の検査室に入った。
 ベラルーシや福島で子供たちが甲状腺を調べるために喉の超音波検査を受けている映像を思い浮かべながら、診察台に仰向けになった。自分もとうとう同じ事態に陥ったかと複雑な気分になる。喉仏や鎖骨の上のあたりにハンディスキャナーのようなもの(「トランスデューサー」または「プローブ」というらしい)を当てられ、10分ほど念入りに調べられた。モノクロのモニターには断面の画像が映し出され、検査を受けながらそれを上目遣いに見た。気道周りを縦方向と横方向の要所で撮影し、ときに寸法線のようなラインを画面上に入力してなにかを測っていた。たぶん、甲状腺のサイズを見たのだろう。ときどき強く押しつけられる。こういうときはじっくり調べられるほど、異変があるのではないかと疑念がわいてくる。検査の終了後、技師の女性に「なにかありましたか」と聞いてみた。しかし彼女は、のちほど先生のほうから、とだけ答えてあとはなにも言わなかった。当然ながら、検査技師の職域はここまでだ。
 それから30分ほど待って、医師面接の部屋に通された。モニターに胸部レントゲンの画像が2つ表示されてある。医師の話は心に広がり始めた心配を払拭する内容だった。胸部レントゲンで気道の湾曲が確認されたので、その周囲を調べたのだが、なにも異常はなかったという。画像では確かに気道が左側に曲がっている。なにかのタイミングでそのように写ったのだろうとのことだった。のう胞や甲状腺の異常はなかったのかと聞くと、そうですと答えた。今回あらためて正常であることが分かりましたね、というようなことを穏やかな表情で言われ、甲状腺の位置を教えてもらう。その後、その日の各検査で分かった範囲の結果を基にいくつかアドバイスを受けた。
 疑いが晴れて面接室を後にした。ちょっとした異常を見逃さず、検査してくれたのはありがたい。そして思ったのは、頸部超音波検査を息子にも受けさせたいということ、あるいは福島県はもちろん、東北や関東のすべての人々が受けるべきということだ。時間と手間、人件費は多少かかるが、原発事故後の日本においては実施して当然の検査だ。結果は率直に受診者に伝え、為政者はその統計を包み隠さずに広く公開しなければならない。定期的に観察し、なおかつ市民を含め情報や知識を蓄積、共有することが望ましい。まずは知ることから始まる。

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プログラミングを学ぶ [ソフトウエア]

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 先日、米国のオバマ大統領がすべてのアメリカ人に向けて、コンピュータープログラミングを推奨するメッセージが公開された。その内容の一部は、以下のようなものだ。

「我が国が最先端をゆく国であり続けたいのであれば、私達の生活を変えてくれるような、ツールや技術を習得した、あなたたちのような若い人が必要なのです。
だから、私はあなたたちにやってほしい!
新しいゲームを買うだけではなく、つくってみよう!
最新のアプリをダウンロードだけではなく、創造してみよう!
スマホで遊ぶだけではなく、プログラミングしてみよう!」
(和訳「Life is Tech!」サイトより:http://life-is-tech.com/blog/programming/messagefrompresidentobama-5843

 '80年代、コンピューターを購入した人の多くは当然のようにプログラミングに挑戦した。パソコン雑誌には毎号プログラミングのサンプルコードが記載され、私自身もNECのパーソナル・コンピューター「PC-100」を購入した際、付属のアプリケーションとは別に、n100-Basicというプログラミング言語を勉強してレイトレーシング(3D CG)などを行っていた。
 '90年初頭までは、パーソナル・コンピューターとプログラミング言語の関係は非常に近しいものであったように記憶している。それが、アプリケーションソフトの進化や市場拡大とともに徐々に離れていき、今に至ってプログラミング言語は、ごく少数の人たちが扱う特殊で専門的なツールになってしまった。
 私はたまたまコンピューター系の出版社に入社したため、'90年代以降もことあるごとにプログラミング言語には関わってきた(とはいえ、ライターの記事を編集する程度で、自分でコードを書けるほどではない)。PHPやJavaなどの各種プログラミング言語の解説書も10冊以上手がけた。私が近年感じることは、コンピューターが日常生活に深く広く入り込んできた現在において、プログラミング能力を身につけることの重要性だ。世間にはさまざまな資格試験があり、就職などに有利な資格に人気が集まっている。これからは、それらと同じくらい、コンピューターのプログラム(コード)を書ける能力が重視されると思う。国際化が進む分野ではなおさらだ。具体的には、業務の遂行や業績向上、効率化に役立つ、あるいは技術革新を引き起こすツールとしてのプログラミングだ。
 たとえばいまどきの営業職であれば、Excelで顧客データや商品情報などを管理したり、WordあるいはPowerPointで企画書や各種資料を作成することなどを日常的に行っているだろう。今後はさらに、営業であってもなんらかのプログラミング言語を用いて、データ分析や業務の遂行をサポートすることに重きが置かれるのではないだろうか。当然ネットを駆使し、それが業績を上げ、同時に自己の強みやウリにもなる。これは製造部門や品質管理部門などでも同様だ。多くの現場において、オリジナルのアプリケーションが業務改善などに役立つ場面がきっとある。
 いまわれわれが毎日当たり前に利用しているWebページもHTMLというプログラミング言語でつくられている。ページを制作するWebデザイナーはこのHTMLに精通し、さらにはWebページの表現やインタラクティブ性を高めるためにJavaScriptなどの言語を駆使することが求められる。また、最近のデジタルアートはプログラムを用いて表現されていることが多い。ゲーム機はもちろん、携帯電話やスマホ、DVDレコーダー、クルマに至るまで、コードは生活の中に浸透している。それはアップル社の例でわかるとおり、人々のライフスタイルさえ変える力を秘めているのだ。 
 業務からライフスタイルまで、社会活動における創造性やイノベーションの鍵を握るプログラムの価値はこれからますます大きくなるだろう。オバマ大統領は、コードを書くという行為が今後の産業構造や経済活動の生命線になることをよく理解している。パテントや著作権にも大きな影響を与える。前述の発言はそのような将来を見据えたものだ。私は日本の学生にもプログラミングを学ぶことを推奨したい。英語を使いこなすことと同じくらいの価値があるという意識を持っていい。

オバマ大統領のメッセージ:
http://www.youtube.com/watch?v=6XvmhE1J9PY

12月5日夜、国会議事堂前。特定秘密保護法案反対デモ [政治]

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 今日の午後、参議院で特定秘密保護法案が可決されたことを知って腹の虫が収まらず、夜8時前に会社を退出して国会議事堂へ向かった。南北線の溜池山王駅で降り、地下道を通って国会議事堂東側の地上出口を出ると、前方の交差点付近で100人近い人々が廃案を叫んでいた。そこからさらに議事堂の正門方向へ歩く。議事堂のすぐ前の歩道は警官に封鎖されて歩けず、デモの市民は道を隔てた歩道側に多数集まっていた。幅2、3mの歩道の中央を歩行者用に空けて両側に立ち、法案反対のチラシやプレートを持って声を上げていた。どのくらいの数かは分からない。議事堂前の歩道の端から端まで人がいたが、中央は密集し、端はまばらだ。二千人ほどはいたろうか。組合系の旗が立っていたが、一般の人も多かった。
 中央で廃案を叫ぶグループが一番大きな音量で国会に向けて演説し、そのほかにも2、3のグループが拡声器を使っていた。中央のグループは、国会運営の状況を逐次報告し、デモは夜遅くまでやるとのことで、参議院議員面会所での休憩などの案内も伝えていた。道路には等間隔で警官が立っていたが、特に混乱はない。
 いうまでもなく特定秘密保護法案は、日本にかろうじて残っている民主主義を窒息させる悪法だ。米国から要求される軍事協定や軍事行動に応え、それと同時に公務員などによる内部告発を断ち、うるさい市民の声さえも封じ込める、一石二鳥、一網打尽を狙った、官僚組織と自民党にとってまったく都合のいい法律。これが通れば、官僚組織と自民党はほぼ「上がり」である。以後、市民の自由はことあるごとに脅かされる。民主党に破れ、一時期野党になった自民党は今度は絶対に与党の座を逃さない手法を生み出した。この法律は、ゆっくりじわじわと自由の首を絞める。市民の萎縮を利用する現代版の恐怖政治だ。
 昨年末の衆議院選で自民党が大勝したときに、すでに日本の民主主義の行く末は決まっていたのだろう。安倍晋三が改憲を言い始めたころから、雲行きが怪しくなった。それから参議院でも自民が返り咲き、あっという間に今日を迎える。すべては遅きに逸したと思いながら国会議事堂前に立ち、抗議の声をぶつけてきた。参議院本会議での成立は明日に持ち越されるという。
 デモでは、拡声器で声を張り上げている人よりも、少し離れて黙って立つ人やじっとしゃがんでいる老人などのほうが存在感がある。いまのほとんどの政治家には声なき声を聞く能力はない。自分の保身しか考えない浅ましい人間たちだ。その浅ましい者どもにいいようにされるのがどうにも腹立たしい。
 声を上げている市民に申し訳ないと思いつつ議事堂を後にし、地下鉄で帰路についた。地下鉄の車内は、デモの喧噪から一転して人々がいつもどおりの日常の中にいた。恐ろしく不気味な暗雲に呑み込まれようとしているにもかかわらず、変わらぬ日常をおくっていると思いこんでいる人々の姿をじっと眺めた。もっとも、私もそのうちの一人に見えるだろう。いま議事堂前で廃案を叫んでいる人々は全日本人のきわめて一部であり、ほとんどの日本人はこのようなあやうい、偽物かもしれない日常の中で生きている。明日吸う空気が今日の空気とはまったく違ったものになっていても気がつかないだろう。人々の姿を見ながら、そんなことを考えた。
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