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風景画 [制作]

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 つい数年前には見えなかったものが、このごろ徐々に見えてきた。と言っても、幽霊やUFOの類ではない。ただの林の話だ。
 ここ6年ほど、近くの公園や野川付近に風景画を描きに行っている。最初のうちは春夏だけだったが、いまでは真冬でも出かける。残雪をよけて構図を決める。実のところ、描きに出かけるのがおっくうな日もある。前回の仕事がうまくいかなかったときはなおさらだ。それでも、続けていればわずかでも進歩するだろうという淡い期待を抱いて、イーゼルを背負う。
 さて、なにが見えてきたのか。たぶん、他人の目にはなにも映らないかもしれない。そこにあるのはただの木立であり、特別美しい景色ではないからだ。この国には、南仏のような、色彩あふれる太陽光線もない。だが、なんとか探し出したモチーフを前にし、慎重に絵の具を置いていくうちに、その景色に隠された秘密が画面に浮き出てくる。なにかが見えるようになってくる。言葉にするのは難しいが、例えるならば、「構造」あるいは「地層」のようなものだろうか。
 それをうまくつかまえられれば、しめたものだ。佳作への期待が高まる。しかしたいていの場合、取り逃がしてしまう。つまり、失敗してしまうのだ。つかまえたと思った美術の化身が、箱を開けてみたらどこにもいない。落胆。次があるさという自分への励まし
 失敗の原因は明らかだ。要するに、よく見ていないから。本質をとらえる努力をせずに、安易な筆を置いてしまう。無駄な筆で埋めつくされた画面に気がつかないのがいまだ凡庸なる画家の悲しさ。今日こそ黄金の鳥の羽根くらいは捕まえたと思って自宅で籠を開く。それを見て妻がつぶやく。「まあ普通かな」。これでその日の仕事は終了だ。こんなことをもう何年も繰り返している。
 とはいえ、10点にひとつくらいは、そこになにかが描かれている。妻には見えないだろう。イチローの言うとおり、「オレは何か持っている」と思わなければ、こんな仕事はやっていられない。そうやすやすと進歩することはないと認識しているが、専用のマシンでトレーニングを繰り返すイチローのように少しは戦略を練ることも必要だろう。ただし、あの現代アートの連中が言っている「文脈(コンテクスト)」とやらではない。コンテクストが大事なら、絵などやらずに評論家か起業家にでもなったほうがいい。
 絵が売れて有名になることを目標にして描くのか、それとも自分の目指す絵画を実現するために描くのか。私は、後者の道が過去にも未来にも通じると信じている。自分の足で歩くのだ。

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