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「Kindle Paperwhite 3G」で電子書籍を読む [ハードウェア]

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 Amazonで予約していた電子書籍リーダー「Kindle Paperwhite 3G」(以下、Kindle)が到着した。価格は1万2980円。すでにビックカメラなどの家電量販店では先週から販売を開始しており、Web上に使用感や関連情報などがアップされている。
 会社の同僚が先に買っていたので一週間ほど前に触らせてもらっていたのだが、実際に自宅で手にしてあらためてよさがわかった。持ちやすく、軽いのだ。重量は222gだという。この軽さはいい。どんなに性能がよくても、重いのでは価値が半減する。私は初代iPadを持っているが、持ちやすさと軽さの点では雲泥の差だ。
 箱から取り出したら、まずセットアップを行う。導入の手順はステップごとに画面に示され、それに沿って操作すれば、すぐに使えるようになる。初心者には自宅のWiFiを探し、ID・パスワードを設定するあたりが若干難しいだろうか。
 ページをめくる、メニューを表示するといった操作方法も画面で案内され、その手際はなかなかのものだ。これからの電子機器はこういった動作手順のフォローやユーザーインターフェース(UI)の出来が非常に重要であり、Amazonはこの点でAppleに次ぐ意識の高さを持っているように思えた。このときに肝心なのが、ユーザーにいかにつまづかせずに設定を終えさせるかだ。ポイントはやはりシンプルさにある。いや、ユーザー目線とでもいうべきか。ユーザーをへたな横道や堂々巡りに迷い込ませてしまうのが、マイクロソフトや日本のメーカーのだめなところだと常々思っている。
 セットアップを完了して、まず本機を使ってKindleストアから直接コンテンツを購入してみた。初めてのコンテンツは「ITの汁」というマンガ(東京IT新聞に連載)。検索して1-Clickで購入。3部作だったのでダウンロードに数分の時間がかかったが、予想以上に早かった。
 Kindleのディスプレーはモノクロで「E Ink」(電気泳動方式)という技術を採用している。Kindleにおける私の最大の興味はこのE Inkだ。私はもともと液晶パネルのバックライトが嫌いだ。視神経によくない光だと思っている。それで、当初から考えていたとおり、Kindleのバックライトをオフにしてみた。すると、やはり目に負荷がかからず読みやすい。画面は薄いグレーの地になるのだが、マンガも文字もそれなりに読める。理想はバックライトオフでも地が白いことだが、いまはそこまでは求めない。
 E Inkの弱点は、ページをめくるときに、それまで表示されていた部分が黒白でざらっと反転することだ。これは実際に見てもらわないとわからないが、ページをめくる際に、白い部分が黒に、黒い部分が白に一瞬反転する。マンガの場合この現象は特にはげしい。数人に尋ねたところ、この反転が気になる人と気にならないという人に分かれた。私は気にしないことにした。
 以前、楽天の「kobo」を使わせてもらったことがあるが、あちらはメニュー表示や動作などの反応が遅く、スムーズには使えなかった。インターフェースも悪いため、買う気にならず。その点、Kindleはそこそこの速度で動作する。もちろんiPadと比べ、ページめくりやスクロールなどほとんどの動きは遅い。しかしがまんできないほどではなく、インターフェースもそこそこ実用的だ。要するに慣れることができる。ちなみに、電源をオフにすると、万年筆や鉛筆、筆、活字など、書くことや文字に関する写真がその都度いろいろと表示される。これがなかなか面白く、粋だ。
 Kindleにもそれなりに課題はある。前述したE Inkの反転もそうだが、例えば、右開きと左開きの区別ができないこと。購入した本がどちらなのか一見してわからない場合、画面の左右どちらをタッチすればいいのか迷うことがある。縦書きであれば、当然右開きなので、ページをめくるときは画面の左側をタッチする。しかしときどき右側をタッチしてしまうことがある。このへんもまた慣れるしかないだろう。
 さて、Kindleを使ってみていちばん印象に残ったのは、PC上のAmazonのKindleストアで購入した電子書籍のデータが自動的にKindleにダウンロードされたときだ。津田大介氏の「ウェブで政治を動かす!」はテキストベースのせいもあるが、Kindleストアで1-ClickしてKindleにダウンロードされるまで、わずか1分ほどだったと思う。これまで、iPadでも何冊か電子書籍を購入したがさほどの速さは感じず、一方でKindleのダイレクト感には驚いた。注文して1分ほどで本が読めるのだ。iTunesストアでの音楽データのダウンロードよりも速い。
 取次や書店あるいは配送業者といった流通経路を飛び越え、AmazonからKindleに書籍データが直接届く。この即時性は、今後の出版のあり方や本の利用方法を根本的に変えるだろう。さらに、メモが付けられたり、文字サイズの変更、用語の意味をすぐに辞書で調べられたりできる機能性を備え、Kindleリーダーというアプリケーションを使えば、PCやタブレットなどほかのデバイスで本の続きを読むことができる(購入したコンテンツをほかのデバイスで横断的に読める)。たとえば、文筆業をしている人などが大量に資料を持ち歩くために使うツールとしては、非常に有用になるだろう(パソコンを使えば、PDFなどの書類も保存・閲覧できる)。今後日本でのコンテンツが充実すればの話だが。
 従来のタブレットと異なり、文字(長文)を読む気にさせる、それがKindleだ(バックライトオフの場合)。米国在住のある筆者はKindleをかなり活用していると言っていた。米国の電子書籍利用はだいぶ進んでいるらしい。戸外で急に本が必要になるといった場面はまずないだろうが、今後は3G(携帯電話回線)での利用も試してみたい。操作性などにおいてまだこなれていない点はあるとはいえ、日本でもようやく実用的な電子書籍リーダーが登場したといっていいだろう。紙の本と並行して読んでいきたいと思う。



SHOHEIの肖像画 SHOHEI Exhibition -Layered- [ART]

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或る日本人の肖像

 原宿のCarhartt Store Tokyoという店で開かれたSHOHEIの原画展を見た。ボールペンで描かれた線画。米国のワークウェアブランドであるCarharttの広告用作品と過去作品をミックスした展示となっている。モチーフは主に人物だ。フルフェイスの防塵マスクとタイベック姿の男(或る日本人の肖像)、凶悪そうな警官(巡査A)、若い男女、黒人、車イスの青年など。作品のサイズはB4〜A3ほどだろうか、ボールペンとマジックを使い、モノクロで描かれている。Webでその制作過程を見ることができるが、彼は軽い下書きをしただけで、このリアルな絵を描き上げる。これには驚く。
 SHOHEIは以前、大友克洋氏の子息ということでネットで紹介され、私はそれでこの作家を知った。そのような紹介のされ方をすると、どうしても希代の漫画家の遺伝子を見いだしがちになる。それはやむを得ないことだろう。たしかにその作品からは、若いころの大友克洋氏と共通する感覚を感じる。しかし見るべきは彼の精神であり、作家としての独自性だ。緻密なボールペン画には、非常に鋭い切れ味をもつなにかが含まれている。「或る日本人の肖像」を見たとき、私はその切れ味に触れた。いまの日本の負の側面を静寂によって表した作品だと思った。静止画となった現在の日本の断面。
 この作家はボールペン画とひとくちにいえない技法を備えている。一見すると、印刷物あるいは版画のようでもある。それは、高度に緻密なハッチングによるものだろう。中世ヨーロッパの版画に匹敵する精密なハッチングで、調子と質感、そして気配を表している。卓越したデッサン力だ。見る者はまずそのテクニックに目を奪われる。
 ドローイング作品においてまず重要なのは「気配」だろう。これを感じさせる作家は少ない。私は彼の絵に新しい気配が息づくのを感じた。現在を切り取る、古い言葉でいえば時代を切り取る、SHOHEIのような作家は日本に久しく不在だった。過去の作品から見ていくと、題材が変化し、過激なモチーフからいまの肖像画に至っている(過激さはかたちを変えていまの作品に脈打つ)。これらの肖像画は現在の「気配」を表している点で出色といっていい。個展はオーストラリアやメキシコでも開かれ、作品はすでに日本を飛び越えた。世界に通じる新しい肖像画だ。

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SHOHEI Exhibition -Layered- at Carhartt Store Tokyo 2012.11.17-11.25

※過去作品や最新情報は、「白痴ランド」(http://www.hakuchi.jp/)に掲載されている。
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本多真理子展「from UNDERGROUND」 [ART]

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 銀座のGALERIE SOLにて、本多真理子展を見る。インスタレーションなので正確には体験する、が正しいだろうか。タイトルは「from UNDERGROUND」。彼女の個展に足を運んだのはこれで4度目だ。近年の主要素材である赤い毛糸を用いた作品。今回もまた、いつものように意表をつく構造だった。とはいえ、決して奇をてらったものではない。時間や重力を内包した、非常に深みのある内容の作品となっている。
 思い起こせば'80年代、銀座の画廊にはこのような作品が数多く展示されていた。勢いのあるコンセプチャルアートが多彩に開花した時代。本多さんの作品はその系譜を引き継ぎ、現在の世界の様相を反映する。
 3D CGのワイヤフレームを彷彿させる直線的な赤い毛糸。鉄パイプを支点に、毛糸の一方には丸い石、もう一方には水の入ったビニールパック。バランスが保たれたそれらが合計12個並ぶ。パックの底には点滴のように針が差してある。石のサイズはまちまちで、その重さに合わせて水の量が決められている。それぞれのパックには水量と思われる数字、そして展示開始から終了までの日付が書かれてある。今日の日付が記されたパックの針先の栓が外され、水滴がぽつぽつと垂れている。床には、ペット用の粗い砂。水滴はその砂に染みこむ。作家は今朝画廊に来て、栓を外したという。展示期間中は毎日、栓を外すのだ。
 水が針先からこぼれてパックが軽くなったとき、糸の一方に吊された石が床に落ちる。そのとき石は、コトンと音をたてるのだろう。この、現象ともいえる作家の所作を読み取ったとき、われわれは果てしのないこの世界に流れる時間と変化を感じる。この時間は、この変化はだれの意思によるものなのか。その問いを受け取って、画廊を後にするのだ。われわれにとっては有限である時間と、自然物としての変化を知る。それが生きることなのかもしれないと思う。

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野川 [地域]

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Nogawa

 このところ野川付近で制作を続けている。そこは、平地が続く三鷹において、地形の変化がある数少ない場所だ。特に、野川の北側にある「国分寺崖線」は、なだらかな崖地になっており、斜面の木立は武蔵野の原風景を思わせる。
 野川の水は近年、だいぶきれいになった。十年ほど前になるだろうか、水量の乏しいこの川にも生活排水が流れ込んでいて、いまでは信じられないことだが、コンクリート製の排水口が川岸にあった。三鷹近辺だけでも排水口は数カ所あり、周囲の自然環境との落差に残念な気分になったものだ。私は水質に問題があると思い、散歩に連れ出した子供に水遊びをさせなかった。それが条例でもできたのか、あるときから排水の流れがぴたりと止まった。これにともない、川の水は徐々に透明度を取り戻していった。
 野川には以前から鴨がいた。さらに鯉が泳ぎ、鷺も飛来していた。ほかの地域ではどうかしらないが、水質がよくなったかわりに、鯉は姿を消し、鷺も見なくなった。もっとも、三鷹あたりは水深が浅いせいもあるだろうか。一方で、鴨の数は増えたように思う。夏の間は、川遊びをする人間の親子連れがいて騒がしいが、秋冬になれば、鴨のグループが悠々と泳いだり、川岸を歩いている。
 人間の親子連れといえば、彼らは夏になると野川周辺の自然環境を満喫する。網を手に、川で魚をとり、川岸ではトンボや蝶などの昆虫採集。国分寺崖線からの湧水が出る岩場(上の台地に降った雨水が崖下土地に湧いて出る)にはカニがいるのだが、そういった生物も捕獲してしまう。私はカワトンボなどを見かけると(たぶん自然観察園で羽化したもの)、どうか人間につかまらないように、と祈った。自然と触れ合うことは大切だが、希少な生物を興味本位で捕獲するのはやめてほしいと思う。
 野川公園を西に進むと以前は、調布府中・小金井にまたがる二枚橋という場所にゴミ焼却場があった。この施設は野川に隣接しており、その無粋な紅白の煙突とそこから立ち上る白い煙は自然環境に恵まれた地域には似つかわしくなかった。野川を散策しながらその煙突が見えると、これまた嫌な気分になったことを思い出す。この焼却場も廃止され昨年から取り壊しが始まり、紅白の煙突はすでに消えた。最近野川に通うようになった理由のひとつでもある。
 そういうわけで、野川およびその周辺の環境は以前よりも改善された。水質が向上し、焼却場がなくなったことは喜ばしい。これに関してはいうことはない。最近私が気になるのは、川岸の管理がゆきとどきすぎている点にある。低木や雑草はすぐに刈られ、湧水が出る川辺の整備も進んだ。よくいえば、きれいになった。しかし、半面つまらなくなったのも事実だ。神代植物公園などもそうだが、低木や下草をすべて刈り、荒れた場所をすべて整えてしまうと、風景がゴルフ場のようにのっぺりする。つまり、味気ない。例えるなら、日本の庭とヨーロッパの庭の違いとでもいえばいいだろうか。野川公園も広々としていいところだが、その昔は国際基督教大学のゴルフコースだったという。風通しがいいにせよ、どこか人工的だ。
 自然本来のかたちをできるだけ残すという精神がなければ、野川といえども、ただの遊歩道になってしまうだろう。本来発見すべき自然の本質が取り除かれるのは好ましいことではない。要するに、計画者の考えが浅い。人が歩きやすいよう、あるいは危険がないようにと、本来の姿を安易に変えてしまう。その風景の中で、いつも私はモチーフを探すのに苦労している。

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国分寺崖線
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