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熊谷守一の絵 [芸術]

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「白猫」

 熊谷守一の油彩画にときどき出会う。美術館の常設展示や老舗の画廊、あるいは画集の中で。出会うというよりは、突然現れるといったほうがいいだろうか。今日、古書店で購入した現代美術の展覧会のカタログには「石亀」というタイトルの作品がぽつんと掲載されていた。この人の油彩画の特徴は、渋みがありながら柔らかい色調と、単純化した色面だ。ここではその色面について書いてみたい。
 少々乱暴な言い方をすれば、絵における描画の要素は通常、面と線に分けられる。線を描いて面を重ねる、あるいは面で構成して線で整える、といった仕事の仕方があるだろう(これはあくまで筆の運びの話だが)。
 さて、この手法からすれば、熊谷守一の描画は特異である。モチーフを面(プラン)で描いてはいるが、それらの面はいずれも接合していない。そこには必ず「間」があるのだ。つまり、重なりがない。しかも単なる間ではなく、その間自体にも色(主に赤)が付けられており、それはもはや線とはいえない要素になっている。構造としては、赤い間の部分を線状に描き、その上に色面を厚塗りで載せている。
 面でも線でもないもの。それは隙間か、あるいは地か。これにより、この画家の絵には、画面全体に均質な造型が生まれる。思索と注意深い視線に基づく形が地のような線によって決められ、面が置かれ、対象を単純化し、記号的な独特の画面を構成する。
 熊谷守一の絵には、プロセスはいっさい描かれていない。どのように感じて描いたかというような過程をまったく排除している。そこにあるのは、彼が対象を見つめた末に発見した形であり、絵画世界だ。注意深く視ることによってつかんだ面と面の独自のバランスと、間による絵画。これは容易には到達できない仕事だと思う。

タグ:熊谷守一
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和合亮一氏の朗読会 [詩]

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 9月1日、深大寺本堂にて「水の輪・心の和~語り伝えるふるさと」と題したイベントが開かれた。出演は、詩の朗読が和合亮一さん、舞がオイリュトミストのはた りえさん、音楽が「波紋音(はもん)」という打楽器を演奏する永田砂知子さん。内陣を正面に見て、左手に演者のスペース、右手に客席が設置された。客席には、地元の市民らしい方々が訪れ、子供づれもいた。60名ほど入っただろうか。私の隣に座った老婦人二人は、いわき出身か、浜通りから来た方たちのようで、津波が襲来した際に犠牲になった人の話をしていた。
 イベントははたさんの舞で始まる。淡い紫色のグラデーションに染められた、天女のような衣装をまとった演者の舞は、バックの波紋音の音とあいまって、神話的な風景を表しているように思えた。身体の動きからは波あるいは波動が感じられ、瑞々しい。波紋音の音は初めて聴く不思議な響きだった。胴のふくれた金属製の太鼓のようなかたち。大が1つと、小が5つほど。音はガムランの打楽器、あるいは水琴窟にも似ている。音程は整っており、日本的な清楚さがある。倍音の重なりが独特で、その持続による厚みが心地よく、本堂の空間に合う。
 途中から3人の僧侶による読経が入り、波紋音との協奏のようになった。それが終わって、和合さんが詩集を持って登壇した。相馬市をテーマにした詩を静かな口調で語り始める。次に、放射能汚染によりある日の午前0時を境に立ち入り禁止になる地域をうたった詩。和合さんの最近の詩における特徴である、言葉の繰り返しが、聴く者の心に収束の目途がたたない現実を深く刻む。老人たちはときどき頷きながら聞いていた。
 イベントの直前まで大粒の雨が降っていたが、すうっと止んだ。和合さんの後ろの障子に木漏れ日が射し、葉陰がゆれる。そして、蝉の声。特にヒグラシの声がよくとおり、夏の余韻をはこんできた。和合さんは2、3冊の詩集をかわるがわる読む。ただし、ほとんど本を見ていないときもあった。「いのち、いのち、いのち」。リフになると語調が激しく、強くなる。それはもはや叫びだ。朗読は1時間ほど行われ、そのあと再び舞が演じられた。4時半終了。来場者の拍手は温かかった。
 内陣の横手に回って、和合さんに挨拶した。初対面だったが、私はこの詩人をだいぶ前に知った。私の知人の詩人・福間健二さんが17年前に、いわき市立美術館で和合さんと朗読を行ったのだ。そのとき私は都合で行けなかったのだが、後日福間さんから福島の若い詩人のことを聞いた。和合さんも私のことを福間さんから聞いており、互いに対面を喜ぶ。福間さんの朗読用につくった私の音楽や、美術館に行った私の父親のことも覚えており、とてもていねいで実直な人だった。3.11以降の注目、活動は周知のとおりだ。坂本龍一さんとも共演するなど、震災が縁とはいえ、喜ばしい。
 和合さんの経歴をあらためてみると、'98年に中原中也賞を受賞している。ラジオのパーソナリティーやテレビ出演など、いろいろなことを行っているが、本業は高校の先生だ。実際にお会いして、活躍する人特有のタフさと繊細さを感じた。いま思うのは、未曾有の危機にさらされた福島には、和合さんという詩人が必要であったということだ。この重苦しい状況の中で自らの存在を切り開く言葉、あるいは叫びが必要だったのだと思う。私は3.11の原発事故直後、福島の状況を知りたくて、ネットを走り回った。そのとき、あの混乱の中、「放射能が降っています。静かな静かな夜です」という言葉に出会ったときに、心がざわめいたことを覚えている。
 終演後、和合さんの後輩のSさんとともに、寺の近くの店「曼珠苑」で行われた打ち上げに参加する。イベントを企画・開催したスタッフは全員女性だった。和合さんは事故の直後に奥さんと子供を避難させた話をしてくれた。ひとりで自宅に残り、余震の中で詩を書いていたという。そのとき、雨に当たってはいけないという注意報が出たとのこと。「放射能が降っています」とは雨のことだった。彼は、福島県外に住むわれわれが経験したことのない時間を過ごしたのだ。実は該当地域外の人間はそのことがよくわかっていない(3月15日にはわれわれもまた被曝したのだが)。私はいまさらながら、そのことに気がつく。とはいえ、その事実についてどう語りかければいいのか、まだ心の整理がつかずにおり、もう少し時間が必要なのだと思う。
 和合さんはまた、外国における活動や先日参加したスロベニアでの詩のイベントについて語った。ヨーロッパでは詩人が自らの詩を朗読をするのは当然のことらしい。永田さんには波紋音のことを詳しく聞いた。波紋音は打面にスリットが入っており、叩く位置により音程が変わる。はたさんに会って、自分よりも年上だったことに驚く。演じている女性は30代くらいに見えたのだ。集合写真を撮って、7時前に解散。和合さんは、女性たちに見送られて福島へ帰られた。
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