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没後20年 武満徹オーケストラ・コンサート [音楽]

 武満徹が亡くなって20年が過ぎた。今年は各所で節目のコンサートがいくつか企画された。東京オペラシティコンサートホールでの「没後20年 武満徹オーケストラ・コンサート」はその一つ。同ホールの名称は「東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル」。追悼公演の企画としては大きなものといっていいだろう。公演日は10月13日。

 私は以前に、三鷹市芸術文化センターにて沼尻竜典指揮東京モーツァルトプレイヤーズによる武満作品演奏会(『武満、モーツァルトの「レクイエム」』を聴く)に足を運んだ。いつものごとくそのときの音の記憶はすでに残っていないが、今回はホールとオーケストラが違うせいか、あらたな体験をした心持ちだった。

 指揮は武満作品を多く手がけ、友人でもあったというオリヴァー・ナッセン。曲目は以下のとおり(演奏順)。

地平線のドーリア(1966・約11分)
環礁ーーソプラノとオーケストラのための(1962・約17分)
テクスチュアズーーピアノとオーケストラのための(1964・約8分)
グリーン(1967・約6分)
夢の引用ーSay sea, take me!ー ーー2台のピアノとオーケストラのための(1991・約17分)

 本公演を聴いてまずはじめに感じたのは、武満徹が作曲したオーケストラ音楽の繊細さだ。単に音量の小ささや音の弱さではなく、楽器の鳴らし方自体が特別であり、音楽の成り立ちがほかの作曲家と異なる。「強さ」やボリュームを目指すのではなく、草木や土、風、空などのうつろう自然現象による不確定さと厳しさ、鋭さを備えた音楽とでもいえばいいだろうか。それから、この繊細さを包み込む静寂、静謐なる空間(間)の存在を強く感じさせる。特にその傾向が強かったのは「地平線のドーリア」だ。プレイヤーが発した音が「演奏」としてやってくるのではなく、こちらからその「場」へと向かう必要がある。そして、ここはいったいどこなのか、なにが起きているのか。ほの暗い林の中でつむがれた音を追う。ひとつだけ言えるのは、自分がいるのは日本のような場所だということ。それが過去か未来はわからない。

 「環礁」で女性歌手が歌いだす。最初は気づかなかったが、よく聴くと日本語だった。大岡 信の詩。ソプラノはクレア・ブース。神話的な静寂の場に立ち現れるものはなにか。「テクスチュアズ」は張りつめた緊張感をダイナミックに構成した秀作。ピアノは高橋悠治(ピーター・ゼルキン体調不良のため変更)。「グリーン」は比較的調性感があった。青空と雲のある風景を想起させるような美しさがときおりやってくる。さまざまな映像を想起させ、その連鎖は聴くものをどこへ導くのか。「夢の引用」のピアノは高橋悠治とジュリア・スー。ここではピアノの響きが美しい。ときに、ドビュッシーの「海」や武満自身の作品が引用として現れる。武満徹という作曲家のスケールの大きさを感じる一曲。

 2階の側面の座席から俯瞰で聴いたせいか、音がまとまって聴こえるのではなく、各パートが個別に耳に届いた。これは演奏者がよく見えたせいなのか、武満作品がもともとそういう構造なのかはわからない。そのため、全体の流れよりも、一つひとつの音をつかまえることが容易だった。以前三鷹で聴いた「弦楽のためのレクイエム」とは異なる印象を受けた。とはいえ、曲中の大きな盛り上がりに向かうエネルギーの集中は恐るべきものがあった。ストラヴィンスキーが「厳しい音楽」と評した武満の音楽にある機微を的確にとらえた演奏だったと思う。

 私の知る限り、今年開かれる武満徹コンサートで見逃せないのは、本公演と世田谷美術館講堂での高橋アキ「武満徹 ピアノ独奏曲演奏会」だろう。残念ながら後者を知ったときにはチケットはすでに完売だった。高橋アキが弾く武満作品の確かさはCD「高橋アキ plays 武満」を聴けばわかる。できれば20年といわず、ときどき演奏してほしい。

武満徹プレート.jpg
東京オペラシティコンサートホールに掲示された宇佐美圭司作の武満徹肖像画レリーフ
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