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高橋悠治のピアノ・リサイタル [音楽]

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 木曜日の夜、浜離宮朝日ホールで「高橋悠治ピアノ・リサイタル」を聴く。
この人の演奏を生で聴くのは今回で二度目。最初に聴いたのは新宿ピットインでのライブだった。富樫雅彦の追悼ライブで、山下洋輔などさまざまなジャズミュージシャンが順に演奏した最後のほうに高橋悠治が登場し、その音を聴いて驚いた記憶がある。ジャズ畑の人ではないし、ジャズミュージシャンとはスタイルや経歴も異なるが、フリーなどいろいろなジャズミュージシャンとのセッションに参加してきた人。もちろん浮いていたのではない。彼のプレイは音楽の成り立ちそのものが独自であり、生のピアノ音はそれまで聴いたことのない類のものだったのだ。一聴すると硬質でロジカル。テクニックや正確さ、独創性というよりも、このピアニストが捉えている音楽、音楽への理解は明らかにほかのプレーヤーとは異なっていた。初めの1音が響いた瞬間にそれが分かる。イメージとしては、荒川修作のドローイングに似ている。突き詰めれば数学的な難解さを伴うが、荒川修作の場合は精神をドローイングに、高橋悠治の場合は音に変換する作業に徹したといえばいいだろうか。あの晩のことはいまだに記憶に残っている。
 高橋悠治は現代音楽、電子音楽、クラシック、フリー、楽団など、さまざまな音楽フィールドで作曲/演奏を横断的に仕事をこなし、活動の幅は非常に広い。それは、音楽の理解力ゆえだろう。勝手な想像だが、この人は経験や訓練を重ねてここにたどり着いたのではなく、最初からそのような音楽家だったのだ。音楽を理解、解釈する能力や感覚に優れている。それゆえ演奏会では、間を置かずすぐに演奏に入ることができる。MCを終えてマイクを置いた瞬間に演奏が始まるのだ。
 作曲家であり、ピアニストでもある点は必然といえるかもしれない。音楽を理解すること、理解して変換する際の純度が極めて高く、それを正確に演奏する希有な技術を備えている。ピアニストとしては、作曲者が刻み込んだ音楽の精神を理解し、一切の無駄なく構造をコンパイルする。音楽が通る神経回路の処理速度が並みではない。
 浜離宮朝日ホールの音響は、朝の陽光のように明るかった。響きのかたちが見えるようで、特に響きの終わりが美しい。今回のコンサートは、作曲家を2人組み合わせて、そこから新しい音楽の文脈を導き出すのがテーマだ。演奏したのは、ガルッピとモーツァルト、映画音楽の作曲家ハジダキスとサティ、高橋悠治の自作曲とバッハだ。それぞれの対比が独特の共通点あるいは違いを浮き彫りにし、その重なりが物語になっていた。このあたりの選曲や趣向も高橋悠治のゆるぎない音楽解釈に起因するものだろう。コンサートの中心点はサティのグノシェンヌ7番だったように思う。高橋悠治のサティは定評のあるところで、私も何度かCDで聴いたが(たしか、7番はCD化されていない)、今回の演奏はやはり、サティの精神を深いところで読み込んでいる点が秀逸だった。この曲への拍手がいちばん大きかった。

曲目:

ガルッピ/ソナ イ短調 作品1の3
モーツァルト/ロンド イ短調 KV.511

ハジダキス/小さい白い貝殻に Op.1
サティ/ゴシック舞曲、グノシェンヌ7番

高橋悠治/アフロ・アジア風バッハ
バッハ/パルティータ6番 BWV830

アンコール:
モンポウ/歌と踊り 第1番
 
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