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大友克洋GENGA展(2) [マンガ]
さてここからは、大友克洋の仕事における革新性に焦点を当ててみたい。いうまでもなく、漫画という表現を高めた革新だ。私が今回の原画展で注目していたことの一つは、細部の描き込みがオリジナルで見た場合どうなのかということだった。もっともそれは印刷物とさほど変わらないものであったため、特別な驚きはなかった。原画ならではの発見としては、ベタにむらがある・ホワイトの使用が少ない・スクリーントーンの使い方が絶妙、コマの枠線が粗いーーなどの点が挙げられる。
細部の描き込みというのは、この作家の漫画を知る人なら皆知っている物体表面のディテール表現だ。例えば、コンクリートの壁を描く場合、大友以前の漫画家は、コンクリートの表面のざらつきを表現するために、細かいドットを置いたりした。かたや大友はそこに、「欠け」あるいは「ゴミ」や「チリ」を描いた。些末なことのようだが、これを最初に目にした私は驚いた(当時は高校生)。そこから感じるリアリティーが強烈だったからだ。彼はテクスチャーを描く際、石や粒状感のある物体はドット、ガラスや鏡面は斜線、金属はキラリと光る反射ーーといったような古典的な表現手法をほとんど用いていない。独自の視点と手法によって、かなり踏み込んだテクスチャー表現を実現した。
これと似たような手法はたとえば松本零士の漫画に見ることができる。松本零士の描くメカの表面に多く描かれるのが、通気口のスリットのような線だ。たいていは3〜4本の線で描かれ、それによってある種のメカニカルな物体のテクスチャー表現を成立させている。さらに古くは、手塚治虫や小澤さとる(青の六号)の描く宇宙船や潜水艦に加えられた区画線のようなものだろうか。ただしこれらの表現はいずれも、テクスチャーを描くという意識が希薄であったように思う。材質や表面の仕上げを感じるまでには至っていなかった。かれらの漫画においては大地の土も建物の壁もあまり変わりない。つまり、物体すなわち物質を描く意識がさほど強くなかったのだ。
これらの先達の手法に対して、前述した大友克洋の細部の表現はまさに革新だった。欠けやチリなどを加えることで、読者に材質や硬度、表面を十分に意識させた。さらにいえば、その革新の本質は、漫画に「面」の表現を持ち込んだ点にあるといっていいだろう。細部を描き込むことによって、大地や建物、人間や動植物など、あらゆるものの表面とその材質を面(平面、曲面)で表した。面を描くということはエッジ(空間との境界線)の存在も明確にし、それによって空気感や空間を感じさせ、物体の構造や位置関係を緻密に描き分けられることになる。画面上のあらゆるモチーフの存在感を際立たせたのが、大友克洋という漫画家だ。彼以前の漫画家とは踏み込み方が違う。そのうえ、精度の高いハッチングとスクリーントーンによる階調を加えることで、この面表現はより完成度を増した。この表現の影響を受けた漫画家やイラストレーターは非常に多い。余談だが、彼は破線のハッチングも使った。今回のAKIRAの原画では1枚しか確認できなかったが、破線のハッチングはホワイトで描いたのではなく、かすれるようになった丸ペンを使っているようだ。このハッチング表現もまた秀逸である。
面を表すことで、画中のあらゆるモチーフのリアリティーが向上した。特にビルなどの構造物の表現が飛躍的に進化したのはいうまでもない。これによって、背景がキャラクターを描くための単なるバックではなく、「世界」になったのだ。画面の中に密度を持った世界がつくられ、そこを舞台にすることでキャラクターの存在が際立つ。その世界のリアリティーはほとんど完璧であり、触れられるほどだ。実際に読者は眼で彼の漫画世界に触れている。大友は漫画に触覚をも持ち込んだのかもしれない。これによって、漫画の線画表現が大きく変化した。この点でも彼は、後進に大きな影響を与えた。
細部の描き込みというのは、この作家の漫画を知る人なら皆知っている物体表面のディテール表現だ。例えば、コンクリートの壁を描く場合、大友以前の漫画家は、コンクリートの表面のざらつきを表現するために、細かいドットを置いたりした。かたや大友はそこに、「欠け」あるいは「ゴミ」や「チリ」を描いた。些末なことのようだが、これを最初に目にした私は驚いた(当時は高校生)。そこから感じるリアリティーが強烈だったからだ。彼はテクスチャーを描く際、石や粒状感のある物体はドット、ガラスや鏡面は斜線、金属はキラリと光る反射ーーといったような古典的な表現手法をほとんど用いていない。独自の視点と手法によって、かなり踏み込んだテクスチャー表現を実現した。
これと似たような手法はたとえば松本零士の漫画に見ることができる。松本零士の描くメカの表面に多く描かれるのが、通気口のスリットのような線だ。たいていは3〜4本の線で描かれ、それによってある種のメカニカルな物体のテクスチャー表現を成立させている。さらに古くは、手塚治虫や小澤さとる(青の六号)の描く宇宙船や潜水艦に加えられた区画線のようなものだろうか。ただしこれらの表現はいずれも、テクスチャーを描くという意識が希薄であったように思う。材質や表面の仕上げを感じるまでには至っていなかった。かれらの漫画においては大地の土も建物の壁もあまり変わりない。つまり、物体すなわち物質を描く意識がさほど強くなかったのだ。
これらの先達の手法に対して、前述した大友克洋の細部の表現はまさに革新だった。欠けやチリなどを加えることで、読者に材質や硬度、表面を十分に意識させた。さらにいえば、その革新の本質は、漫画に「面」の表現を持ち込んだ点にあるといっていいだろう。細部を描き込むことによって、大地や建物、人間や動植物など、あらゆるものの表面とその材質を面(平面、曲面)で表した。面を描くということはエッジ(空間との境界線)の存在も明確にし、それによって空気感や空間を感じさせ、物体の構造や位置関係を緻密に描き分けられることになる。画面上のあらゆるモチーフの存在感を際立たせたのが、大友克洋という漫画家だ。彼以前の漫画家とは踏み込み方が違う。そのうえ、精度の高いハッチングとスクリーントーンによる階調を加えることで、この面表現はより完成度を増した。この表現の影響を受けた漫画家やイラストレーターは非常に多い。余談だが、彼は破線のハッチングも使った。今回のAKIRAの原画では1枚しか確認できなかったが、破線のハッチングはホワイトで描いたのではなく、かすれるようになった丸ペンを使っているようだ。このハッチング表現もまた秀逸である。
面を表すことで、画中のあらゆるモチーフのリアリティーが向上した。特にビルなどの構造物の表現が飛躍的に進化したのはいうまでもない。これによって、背景がキャラクターを描くための単なるバックではなく、「世界」になったのだ。画面の中に密度を持った世界がつくられ、そこを舞台にすることでキャラクターの存在が際立つ。その世界のリアリティーはほとんど完璧であり、触れられるほどだ。実際に読者は眼で彼の漫画世界に触れている。大友は漫画に触覚をも持ち込んだのかもしれない。これによって、漫画の線画表現が大きく変化した。この点でも彼は、後進に大きな影響を与えた。
大友克洋GENGA展(1) [マンガ]

大友克洋が描いた漫画の原画を展示した「大友克洋GENGA展」を見た。展示の中心は「AKIRA」のすべての原画約2300枚。展示ケースに整然と並べられた膨大な原画は圧倒的な存在感を放つ。展示会場はこの長大な物語を凝縮して体験する場となった。さて、何に圧倒されたのかといえば、その画力、すなわち描き込み、描き続ける力である。高いテンションを保った想像力と描く力による絵。この作家は、非凡な想像力で構築された世界を淡々と描き表しているように見える。私はAKIRAをヤングマガジン連載第1回から読み、単行本も購入して何度もながめてはいたが、緻密に、そして膨大かつ丹念に描き込まれた原画群をあらためて目にして、この作家のたぐいまれな資質を再認識した。
比較対象として適切ではないかもしれないが、レオナルド・ダヴィンチの人体解剖デッサンとAKIRAの原画2300枚、そのどちらかを選べと言われたら、私はAKIRAの原画を選ぶ。人類の歴史という線上の価値でみれば、前者なのかもしれない。しかし、今を生きるわれわれにとっての同時代的な「絵」の価値を考えたとき、大友克洋の仕事はダヴィンチよりも重要だ。大友の想像力と描写力の前では、ダヴィンチは絵が描ける科学者、あるいは発明者にすぎない。絵で本質を追求する姿勢において大友はダヴィンチに引けを取らず、常に最前線で仕事を行っている。本人は'89年のインタビューで自分の絵について「やればボクぐらいの絵はすぐできるようになる。やろうとしないだけですよ」と言いのけているが、その資質は漫画という手法を100パーセントあるいはそれ以上に使い切り、推進することができる稀な才能だ。あるときは飄々と、あるときは地道に積み重ねられた膨大な線の存在は実におそるべき仕事だと思う。
大友克洋はさまざまなテーマを取り上げながら、常に「世界」を描いてきた。四畳半に住むさえない男から、破壊された巨大都市や星まで。日本人離れした奥行き表現と斬新な視覚表現でていねいに物語を紡ぐ。自らがこれまで吸収してきたものごとを丸ペンとスクリーントーンによって建築のように構築している。私は2300枚の原画を見ながら、これは建築に通じる仕事であることを感じた。自分が見てきたものや日ごろ考えている構想を絵にし、その積み重ねで漫画空間を表現する。建築もまた、線画で始まりイマジネーションで終わる。そのうえ大友の作品は、建築ばかりではなく、本展のパンフレットに書かれていたとおり、グラフィックやさまざまな映像表現、美術に通じる資質を備えている。
大友作品は現代の漫画の中にあって、視覚表現が際立って鋭敏だ。この鋭敏さはもはや映画をしのいでいると私は思う。映画は瞬間瞬間に絵が過ぎて行くが、漫画は当然ながら静止画だ。彼の漫画は静止画にも関わらず、1コマ1コマが映画のように動く。各コマに時間軸があるといっていいだろう。実際には、それを観るわれわれの脳が彼の絵を動かしているのだが、そのときの脳の動きを緻密に予測しているのが彼の絵だ。さらに彼は映画のカメラのレンズと同等の眼を持っている。マクロ、広角、望遠、高速度撮影、高感度撮影……。私はこれほどの視野を持つ作家をほかに知らない。
彼の紡ぎだす線は数種類の丸ペンで描かれているという。その線は、古代文字や彫刻のように刻まれたものであり、すでに均質な普遍性を帯びている。普遍性をもちながら現在進行形のリアリティーを追求している。このような線を持つ漫画家は、私が知る限り彼と山岸凉子くらいだろうか。この線は、ほかのどの漫画家よりも空間を意識して描いたものだ。この空間認識が、手塚治虫との大きな違いだと思う。手塚治虫は二次元空間に置かれた線であるのに対し、大友のそれは空間を描くために与えられた線だ。
大友克洋の作品世界の特徴といえば、際立ったリアリティー。これには2つの側面がある。一つは確かなデッサン力と独自の質感表現、そしてもう一つは再構築された世界と物語のリアリティー。絵画表現に比べ、彼が描く物体のリアリティーは、漫画の手法上、表面的に見えるかもしれない。堅牢なデッサン力は表層的な描写に重心を置いているかのようだ。しかし、視覚におけるリアリティーの本質は実はわれわれの脳の中に存在するのであり、物体の中にあるわけではない。その点で、絵画表現が上で、漫画が下ということはなく、一連のシーンを通してわれわれの脳内に立ち現れる世界はなんらかの本質を生み出している。その本質におけるスケールの最小と最大の自由自在さが大友の持ち味ともいえるだろう。そして、画面全体に神経をゆき届かせたリアリティーの源が何なのか。われわれはそれを知りたいと思い、同時に、物語を構成力とそれを支える線の完璧さに陶酔する。
全原発停止の日 [原発]
5月5日、北海道電力泊原子力発電所の3号機が定期検査に入り、国内にある50基の原発がすべて停止した。私は国内の全原発が停止する日がこれほど早く訪れるとは思っていなかった。国と電力会社はどうにかして、核の炎を絶やさぬよう「延命」を図ると思っていたのだ。もちろんあくまで停止したにすぎず、再稼働の可能性は残されている。この先のステップとしては、全原発を廃炉に追い込むことだ。廃炉にするにも莫大な費用と労力がかかるのが原発のやっかいな点。放射能に高濃度汚染された原子炉の解体から処分・保管まで、費用と長い時間、たくさんの作業員が必要になる。
とはいえ、廃炉の話をするのは時期尚早だろう。国や電力会社のだれも原子力発電をやめるとは言っていない。原発を不安視する世論の高まりや世界情勢に照らして、再稼働を先延ばししているにすぎない。国や電力会社、電事連は動かしたくてうずうずしている。これまで、東電管内で30パーセント、関電では40パーセント以上の電力が原子力で賄われてきたという。関東はともかく、関西は原発なしでこの夏を乗り切れるだろうか。もっとも、40パーセント以上依存している関西が、いま現在原発なしで電力不足に陥っていないのもおかしな話だが。
原発を止めたからには、新たなエネルギー供給源を考える必要がある。火力と水力のほかに軸となるエネルギー源の候補を挙げて確実なものにしなければならない。忘れてはならないのは、原発に反対する者自身も原発による電力を使ってきた(使ってきてしまった)以上、共犯関係にあるのは免れないということだ。単に反対し、原発を廃炉にすればそれでいいわけではない。解体後の最終処分まで負担し、代替えエネルギーの提案・支持を行うのが筋だ。
その前に、電力にどっぷり浸かった生活や経済活動を改めたい。夏場、キンキンに冷えた建物内、煌々と明るい室内照明、そこら中にある自動販売機、夜中まで空いているコンビニなど、過剰すぎるこれら諸々を抑える方向に動くべきだ。このようなことをいうと、抑制することは経済活動の低下につながり、国力が落ちると否定する人が現れる。原発の推進も同じ理由であろう。国力の維持のためには原発が必要であるという論理がそれだ。しかし、それは繁栄の方向が間違っている。電力をジャブジャブ使ったり、物を容易に使い捨てる大量生産・大量消費がこれから目指す繁栄ではない。日本の人口は減っており、一方で借金は来年度には1000兆円を超える。このような時代には、自然と共生し、電力や物の使用量を適度抑えることが重要になる。もはや過剰さは不要だ。
全原発が停止したいま、われわれは自らの生活や社会活動を見直す時期にきた。これは、私のような'80年代の「おいしい生活」やバブルを体験してきた世代ほど、肝に銘じたい。では、これからの若い世代は「おいしい生活」を味わえなくていいのか? と思う向きもあるだろう。「おいしい生活」を顧みると、その提案の中心にあるのは、物や文化、情報に囲まれた豊かな生活といったところだろうか。もちろん、そこでは電力が重要な役割を果たす。私の知る範囲(息子やその友人、会社の若手など)では、いまの若い世代は物や、旧世代が思い描く文化や情報には固執していないように見える。彼らは旧世代のような物への渇望が希薄で、その価値観の中心には過剰な電力を求めたり、強い物質欲はない。その善し悪しはともかく、電力や物質が人間を幸福にするという古くさい考え方は早晩改めるほうがいいだろう。
核燃料などという危険きわまりないものを燃やし、単に湯を沸かして蒸気タービンで電力を得る旧式な施設がそれほど重要なのか? 繁栄のためには次世代に恐るべき負担をかけていいと勘違いしている国や電力会社、役人、経団連はもはや見切ってしまおう。次の世代と語り合って本当に必要なものを選択し、バトンを渡すときが来た。奇しくも5月5日はこどもの日だ。
原子力と核兵器 [原発]
明日、国内で現在唯一稼働している北海道電力泊原発3号機が止まり、これで国内にある50基の原発がすべて停止することになる。いわば一時休戦だ。残念ながら放射性物質はすでに国土の広い地域に降りそそいでしまったが、その災禍の大元といえる原発がすべて停止するということは市民にとって休戦と言っていいだろう。完全な原子力利用の停止ではない以上休戦にすぎないが、一時的でも事故の危険性が下がり、日本人の生存期間が少しだけ延びる。
さて政府は、最近まで関西電力大飯原発3、4号機の運転再開を目ざし、今日にいたっては原発の発電量に応じた交付金を、原発が稼働していなくても支払う特例の実施を検討するなど、まだ原発再稼働をあきらめていない。多くの市民が原発の安全性に疑問をもち、福島第一原発事故の原因究明も行われていない中、なぜそれほどまでに原発に固執するのか。
電力供給という巨大な利権を手に入れ、それによって多額の金を得るといった理由もあるだろう。ようやく築き上げたこのような利権構造を手放すことは、多くの政治家や官僚、学者、経団連の重鎮にはできない相談だ。しかし、固執する理由ははたしてそれだけだろうか。原子力が持つもう半分の顔を忘れてはならず、いまいちど原発の成り立ちを考えてみたい。
本来、原子力は人間を大量に殺戮する核兵器製造のための技術だ。世界でより優位な立場に立つために必要となる強大な武器。この武器に磨きをかける目的で米ソ中は'60年代にたくさんの核実験を行った。それを、ビキニ環礁に象徴される核開発に対する反対運動の波を押さえ込むために、途中からエネルギー供給すなわち「平和利用」という名目にすり替えたにすぎず、本質は核兵器をつくるためのコア技術である点に変わりはない。高濃縮ウランやプルトニウムなどを抽出する技術を持つということはすなわち、すぐに核兵器をつくることができるという威嚇であり、外交上、国家がこのカードを持つことの意味は非常に大きい。米ソ中はもちろん、インドやパキスタン、北朝鮮などがこのカードを持つことに精を出してる点からみても明らかだ。
そうであるならば、疑問符の位置が変わってくる。なぜ原発に固執するのかではなく、なぜ核兵器を持ちたいのか。原発をあきらめるということはすなわち、核兵器を持つことをあきらめるということだ。つまり、自前で核兵器を製造する能力を切り捨てることになる。いかにアメリカといえども、国際的な立場上日本に核兵器を売ることはできないだろう。与党の上層部は自民党のころから、アメリカの核の傘の下ではなく、自国の傘をさしたいと願ってきたのではないだろうか。核保有によって他国からの脅威を防ぐ。原発を止めると、この願いを断念しなければならない。
そう考えると、原子力は憲法第九条にかかわってくる。日本の与党はこの点を認識し、原子力の進む道筋を周到に考えているはずだ。すでに明白だが、民主党は第2自民党である。自民党と同様に原子力から核兵器所有へいたるロードマップを持っているだろう。原子力は人間の手に負えない現象であり、福島の惨状がそれを示した。これと同義である核は、人類を破滅に導く兵器だ。地上の各国が互いをけん制するために必要なのが核なのだという考えもあるだろう。しかし国家間のけん制以前に、核技術は必然ともいえる人為的ミスによって大量の放射性物質を漏らし、地球を汚染し続けている。副産物の核廃棄物の後始末は数十万年先に繰り延ばし、技術としては当初から破綻しているのだ。いずれにしても、原子力=核はこの地球に生きる市民やすべての生き物を弾圧する存在であることに変わりはない。
さて政府は、最近まで関西電力大飯原発3、4号機の運転再開を目ざし、今日にいたっては原発の発電量に応じた交付金を、原発が稼働していなくても支払う特例の実施を検討するなど、まだ原発再稼働をあきらめていない。多くの市民が原発の安全性に疑問をもち、福島第一原発事故の原因究明も行われていない中、なぜそれほどまでに原発に固執するのか。
電力供給という巨大な利権を手に入れ、それによって多額の金を得るといった理由もあるだろう。ようやく築き上げたこのような利権構造を手放すことは、多くの政治家や官僚、学者、経団連の重鎮にはできない相談だ。しかし、固執する理由ははたしてそれだけだろうか。原子力が持つもう半分の顔を忘れてはならず、いまいちど原発の成り立ちを考えてみたい。
本来、原子力は人間を大量に殺戮する核兵器製造のための技術だ。世界でより優位な立場に立つために必要となる強大な武器。この武器に磨きをかける目的で米ソ中は'60年代にたくさんの核実験を行った。それを、ビキニ環礁に象徴される核開発に対する反対運動の波を押さえ込むために、途中からエネルギー供給すなわち「平和利用」という名目にすり替えたにすぎず、本質は核兵器をつくるためのコア技術である点に変わりはない。高濃縮ウランやプルトニウムなどを抽出する技術を持つということはすなわち、すぐに核兵器をつくることができるという威嚇であり、外交上、国家がこのカードを持つことの意味は非常に大きい。米ソ中はもちろん、インドやパキスタン、北朝鮮などがこのカードを持つことに精を出してる点からみても明らかだ。
そうであるならば、疑問符の位置が変わってくる。なぜ原発に固執するのかではなく、なぜ核兵器を持ちたいのか。原発をあきらめるということはすなわち、核兵器を持つことをあきらめるということだ。つまり、自前で核兵器を製造する能力を切り捨てることになる。いかにアメリカといえども、国際的な立場上日本に核兵器を売ることはできないだろう。与党の上層部は自民党のころから、アメリカの核の傘の下ではなく、自国の傘をさしたいと願ってきたのではないだろうか。核保有によって他国からの脅威を防ぐ。原発を止めると、この願いを断念しなければならない。
そう考えると、原子力は憲法第九条にかかわってくる。日本の与党はこの点を認識し、原子力の進む道筋を周到に考えているはずだ。すでに明白だが、民主党は第2自民党である。自民党と同様に原子力から核兵器所有へいたるロードマップを持っているだろう。原子力は人間の手に負えない現象であり、福島の惨状がそれを示した。これと同義である核は、人類を破滅に導く兵器だ。地上の各国が互いをけん制するために必要なのが核なのだという考えもあるだろう。しかし国家間のけん制以前に、核技術は必然ともいえる人為的ミスによって大量の放射性物質を漏らし、地球を汚染し続けている。副産物の核廃棄物の後始末は数十万年先に繰り延ばし、技術としては当初から破綻しているのだ。いずれにしても、原子力=核はこの地球に生きる市民やすべての生き物を弾圧する存在であることに変わりはない。
引越し業者 [生活]
12年ぶりに引越しをした。同じ町内での移転。アパートからアパートへ。引越しの理由はいろいろあるが、道路の拡張工事とそれにともなう取り壊しによる騒音と振動、ときどきやって来る暴走族の爆音から避難するため。また2階建ての2階のうえ、安普請の陸屋根からくる夏の暑さも度を超していた。
引越し作業は業者に依頼した。3社から見積もりをとり、どこも悪くはなかったが、アート引越センターに決める。引越し後の家具移動などの無料オプションが充実していた。この町内では同社の車両をよく見かけ、勝手なイメージだが、少数精鋭で対応がよさそうな気もした。当日は30代後半のリーダーと20代、10代の計3名が2.5トントラックでやって来た。ずいぶんと若い作業員たちで意外だったが、引越しで肝心なのは体力と迅速さなので、若いほうがいいだろうくらいに思う。朝8時にスタートし、こちらは遅くまで梱包をしてもまだ手を付けていないところがあり、そこは業者が率先して梱包してくれた。
作業員は慣れた段取りでどんどん荷物を運んでいく。不明なものはこちらに確認をとりながらトラックに積む。こちらの気が回らない物はそれなりに。彼らはなにから運ぶか、どう運ぶかを的確に判断していた。家具を包み、パソコンなどを入れるケースの用意も滞りない。移転先の家具レイアウト図を渡したが、それを正確に読み取り、ある程度の使い勝手も考えながら家具や荷物を配置していく。指示をするリーダーはてきぱきとしていた。
作業が終わって感じたのは、気配りと整然とした仕事の進め方。料金は決して安くはないが、こちらの未整理なところをフォローし、それなりに区分けして運んでくれた。このサービスのクオリティはもしかしたら日本ならではのものかもしれない。他国の引越し事情は知らないが、ここまできちんとした作業を行う輸送サービスは提供されていないように思う。日本の引越し業は世界に打って出ても十分通用するだろう。たしか、ヤマト運輸は宅配業で中国に進出したはずだ。米国の知人によれば、かの国では日本人のラーメン職人による店は人気上々とのことだった。宅配や食べ物も可能性は大きいが、日本ならではの引越しサービスを「HIKKOSHI」として輸出してみるのもいいかもしれない。
引越し作業は業者に依頼した。3社から見積もりをとり、どこも悪くはなかったが、アート引越センターに決める。引越し後の家具移動などの無料オプションが充実していた。この町内では同社の車両をよく見かけ、勝手なイメージだが、少数精鋭で対応がよさそうな気もした。当日は30代後半のリーダーと20代、10代の計3名が2.5トントラックでやって来た。ずいぶんと若い作業員たちで意外だったが、引越しで肝心なのは体力と迅速さなので、若いほうがいいだろうくらいに思う。朝8時にスタートし、こちらは遅くまで梱包をしてもまだ手を付けていないところがあり、そこは業者が率先して梱包してくれた。
作業員は慣れた段取りでどんどん荷物を運んでいく。不明なものはこちらに確認をとりながらトラックに積む。こちらの気が回らない物はそれなりに。彼らはなにから運ぶか、どう運ぶかを的確に判断していた。家具を包み、パソコンなどを入れるケースの用意も滞りない。移転先の家具レイアウト図を渡したが、それを正確に読み取り、ある程度の使い勝手も考えながら家具や荷物を配置していく。指示をするリーダーはてきぱきとしていた。
作業が終わって感じたのは、気配りと整然とした仕事の進め方。料金は決して安くはないが、こちらの未整理なところをフォローし、それなりに区分けして運んでくれた。このサービスのクオリティはもしかしたら日本ならではのものかもしれない。他国の引越し事情は知らないが、ここまできちんとした作業を行う輸送サービスは提供されていないように思う。日本の引越し業は世界に打って出ても十分通用するだろう。たしか、ヤマト運輸は宅配業で中国に進出したはずだ。米国の知人によれば、かの国では日本人のラーメン職人による店は人気上々とのことだった。宅配や食べ物も可能性は大きいが、日本ならではの引越しサービスを「HIKKOSHI」として輸出してみるのもいいかもしれない。
タグ:引越し
ストロンチウム汚染水12トンの流出 [原発]
今日の早朝福島原発で、汚染水をためているタンクにつながる配管から高濃度の放射性ストロンチウムを含む汚染水12トンが海へ流出していたことが明らかになり、午後のNHKニュースがそれを報じていた。ストロンチウムはベータ線を発する危険性の高い核種だ。体内に取り込まれると多くが骨に蓄積される。これを含んだ汚染水が12トンも福島の海に流れ出た。これまでも大量の放射性物質が海に放出され、溶融した核燃料から今もって地下に大量に漏れ出している。それに輪をかけての今回の事態だ。
NHKはこのニュースの中で、「東京電力の管理態勢が厳しく問われています」などと間の抜けたコメントを述べている。管理云々を問うのではなく、これはれっきとした東電の犯罪であることを指摘すべきだ。しかも加害者意識が皆無のきわめて重い犯罪。いまなお日本の海を広域に汚染している点で、管理態勢レベルの話ではない。なおかつ汚染は世界の海、公海で起きているのであり、国際的に見ても大きな問題なのだ。
多くの日本人はいま、この事実を「また東電がへまをやらかしたか」程度にとらえてはいないだろうか。たぶん、それほどひどい事態であるという認識はもっておらず、大きく油断しているに違いない。福島県民や福島県出身以外の日本人にとって福島原発事故は残念ながら他人事である。人々はすでに日常に戻った気分でいる。
福島第一原発で起きたこと、そしていま日本中で起きていること。それをもういちど考えてほしい。太平洋戦争に匹敵する巨大な犯罪が発生したのだ。いや、これもまた戦争であり、本来子孫が持つべき時間さえ食いつぶす点ではそれ以上と言えるだろう。この戦争は現在進行形だ。東京電力という軍隊は市民に向けていまも大砲を撃っている。
確かにいまのところ放射能で直接的に亡くなった人はいないかもしれない。しかし、広大な自然と多くの市民の生活と未来、産業を根底から破壊したことはまぎれもない事実。にもかかわらず、いまだだれも罰せられず、だれも責任を取っていない。この状況は異常事態を通り越して、狂っているとしか思えない。市民が「ストロンチウムを含む汚染水12トン流出」を、ただのニュースとして平静に聞いているのであれば、この国はすでに終わっている。
NHKのニュース:
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120405/k10014233041000.html
NHKはこのニュースの中で、「東京電力の管理態勢が厳しく問われています」などと間の抜けたコメントを述べている。管理云々を問うのではなく、これはれっきとした東電の犯罪であることを指摘すべきだ。しかも加害者意識が皆無のきわめて重い犯罪。いまなお日本の海を広域に汚染している点で、管理態勢レベルの話ではない。なおかつ汚染は世界の海、公海で起きているのであり、国際的に見ても大きな問題なのだ。
多くの日本人はいま、この事実を「また東電がへまをやらかしたか」程度にとらえてはいないだろうか。たぶん、それほどひどい事態であるという認識はもっておらず、大きく油断しているに違いない。福島県民や福島県出身以外の日本人にとって福島原発事故は残念ながら他人事である。人々はすでに日常に戻った気分でいる。
福島第一原発で起きたこと、そしていま日本中で起きていること。それをもういちど考えてほしい。太平洋戦争に匹敵する巨大な犯罪が発生したのだ。いや、これもまた戦争であり、本来子孫が持つべき時間さえ食いつぶす点ではそれ以上と言えるだろう。この戦争は現在進行形だ。東京電力という軍隊は市民に向けていまも大砲を撃っている。
確かにいまのところ放射能で直接的に亡くなった人はいないかもしれない。しかし、広大な自然と多くの市民の生活と未来、産業を根底から破壊したことはまぎれもない事実。にもかかわらず、いまだだれも罰せられず、だれも責任を取っていない。この状況は異常事態を通り越して、狂っているとしか思えない。市民が「ストロンチウムを含む汚染水12トン流出」を、ただのニュースとして平静に聞いているのであれば、この国はすでに終わっている。
NHKのニュース:
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120405/k10014233041000.html
NTTの代理店 [生活]
来月に引っ越しをするつもりだ。今のアパートにはすでに12年も住んでいる。この間にたまった部屋の物を少しずつ整理する日々。今日は天候が悪いので、部屋にこもって"積ん読"の本を段ボール箱に詰めた。その作業に一区切りつけ、Googleで「ntt 光」を検索。一番上に表示されたNTTのWebサイトにアクセスし、電話で光回線契約の問い合わせをした。今はインターネット接続と固定電話用としてKDDIの光回線を使っているが、引っ越し予定先のアパートでは基本的にNTTの光回線サービスしか使えない。電話に出た女性に現住所と移転先住所を伝え、乗り換えの段取りや費用・料金などサービス概要を聞いた。
現在キャンペーンで2万円のキャッシュバックもあるというので、ひととおり説明を聞いたのち、仮の契約をすることにした。説明を聞く中で、NTTだと思って話していた相手が、実はその代理店であることがわかる。あとでよく見たら、Webページの右上のほうに小さく会社名が書いてあった。NTTに似たデザインのWebサイトだったのだ。こういう手合いに引っかかる点で、私も焼きが回ってきたらしい。しかもそのときは、「最近はNTTも直接受付をしないで、すべて代理店が請け負っているんだな」などと馬鹿な納得をした。これも老化か。
作業の日程なども押さえ、話が固定電話の電話番号に及んだ。すると相手は意外なことを言う。移転先では現在の電話番号が使えなくなるというのだ。引っ越し先は丁目が違うだけで同じ町内であり、以前同じ町内で引っ越した際も番号は変わらなかった。KDDIに変えたのは昨年の5月で、その前はNTTであり、番号ポータビリティ制を使って同一電話番号で済ませることができた。番号が変わってしまうのはおかしいし、なんとかならないかと伝えたが、「局が変わりますので」「物理的に無理です」などと言ってラチがあかない。仕方なくそれで了承して仮契約を済ませ、電話を切った。
納得がいかず、電話を切ったあとであらためて本家NTTのWebサイトにアクセスし、表示された問い合わせ先に電話をかけた。そこで現住所と引っ越し先の住所を伝え確認したところ、同一局内なので番号は変わらないという。ここで先の代理店の魂胆に気がついた。NTTの担当者の話では、その代理店が提供するサービスパッケージの条件として、電話番号の新規契約が入っているのだろうとのことだった。つまり、番号ポータビリティ制を隠し、なおかつ調査もせずに申込者に新規番号による契約を誘導していたのだ。それにより何らかの利益を上げている可能性が高い。
再度この代理店に電話をかけ、番号が変わらない旨を担当者に問いただすと、あっさりと虚偽を認めて謝罪し、「弊社の認識不足でした」「同一番号を利用する場合は3500円別途費用がかかります」などという。虚偽の勧誘である点を指摘して抗議し、契約をキャンセルした。
以前であれば、このような落とし穴にははまらない注意力があったのだが、年齢のせいかどうもそれが鈍ってきたようだ。元を正せば、Googleの検索で一番上に出たためNTTのサイトだと誤解した。トップに表示されるサイトがオフィシャルなものとは限らない。広告費を多く払っている会社が目立つ位置にくるだけの話だ。会社というのは、利益を上げるために、独自の”網”や”エサ”を仕掛ける。それが正当性を持つものであればいいが、今回のようにほとんど虚偽行為の場合もある。無駄な時間を費やしたが、URLのドメインの確認は怠ってはいけないと反省し、戒めになった。
現在キャンペーンで2万円のキャッシュバックもあるというので、ひととおり説明を聞いたのち、仮の契約をすることにした。説明を聞く中で、NTTだと思って話していた相手が、実はその代理店であることがわかる。あとでよく見たら、Webページの右上のほうに小さく会社名が書いてあった。NTTに似たデザインのWebサイトだったのだ。こういう手合いに引っかかる点で、私も焼きが回ってきたらしい。しかもそのときは、「最近はNTTも直接受付をしないで、すべて代理店が請け負っているんだな」などと馬鹿な納得をした。これも老化か。
作業の日程なども押さえ、話が固定電話の電話番号に及んだ。すると相手は意外なことを言う。移転先では現在の電話番号が使えなくなるというのだ。引っ越し先は丁目が違うだけで同じ町内であり、以前同じ町内で引っ越した際も番号は変わらなかった。KDDIに変えたのは昨年の5月で、その前はNTTであり、番号ポータビリティ制を使って同一電話番号で済ませることができた。番号が変わってしまうのはおかしいし、なんとかならないかと伝えたが、「局が変わりますので」「物理的に無理です」などと言ってラチがあかない。仕方なくそれで了承して仮契約を済ませ、電話を切った。
納得がいかず、電話を切ったあとであらためて本家NTTのWebサイトにアクセスし、表示された問い合わせ先に電話をかけた。そこで現住所と引っ越し先の住所を伝え確認したところ、同一局内なので番号は変わらないという。ここで先の代理店の魂胆に気がついた。NTTの担当者の話では、その代理店が提供するサービスパッケージの条件として、電話番号の新規契約が入っているのだろうとのことだった。つまり、番号ポータビリティ制を隠し、なおかつ調査もせずに申込者に新規番号による契約を誘導していたのだ。それにより何らかの利益を上げている可能性が高い。
再度この代理店に電話をかけ、番号が変わらない旨を担当者に問いただすと、あっさりと虚偽を認めて謝罪し、「弊社の認識不足でした」「同一番号を利用する場合は3500円別途費用がかかります」などという。虚偽の勧誘である点を指摘して抗議し、契約をキャンセルした。
以前であれば、このような落とし穴にははまらない注意力があったのだが、年齢のせいかどうもそれが鈍ってきたようだ。元を正せば、Googleの検索で一番上に出たためNTTのサイトだと誤解した。トップに表示されるサイトがオフィシャルなものとは限らない。広告費を多く払っている会社が目立つ位置にくるだけの話だ。会社というのは、利益を上げるために、独自の”網”や”エサ”を仕掛ける。それが正当性を持つものであればいいが、今回のようにほとんど虚偽行為の場合もある。無駄な時間を費やしたが、URLのドメインの確認は怠ってはいけないと反省し、戒めになった。
4号機燃料プールと双葉断層 [原発]

いわきのローカル紙「日々の新聞」第216号の1面に以下の見出しが掲載された。「福島第一原発で直下型地震が起きやすくなっている」。東北大学大学院理学研究科教授の趙大鵬さんの研究結果に関する記事だ。趙さんは「地震波トモグラフィー」という方法で地下の状態を探り、「双葉断層に注意すべきです。地震が起きる時期は把握できませんが、地震計を周囲に密に置くなどして最新の技術を駆使し、応用すべきです」と語る。政府の特別機関である地震調査研究推進本部は双葉断層の位置を宮城県の亘理町から南相馬市までとしているが、実際にはいわき市久ノ浜町まで連続する大規模な活断層で、福島第一、第二原発のそばにも存在するという。
趙さんたちは地震波トモグラフィーで福島第一原発の地下を画像化。それによれば、昨年4月11日に震度6弱の地震を起こした井戸沢断層のあるいわき市南部の地下の画像と似たプレートからの水(流体)の存在をつきとめたとのこと。「福島第一原発の地下で直下型地震が起きやすくなっていて、原発施設を強化することが大切」との論文を2月14日発行のヨーロッパの専門誌に発表した。
さて、福島第一原発でいまいちばん注視しなければならないのは、4号機にある燃料プールだろう。水素爆発による崩落でぼろぼろになった建屋のプールに現在1500本以上の核燃料棒が格納されている。このプールの冷却水がいまの日本人の命綱だ。核燃料棒の取り出し作業を始めることができるのは2013年の12月、およそ2年後だという。
双葉断層と4号機にある燃料プール。この2つの要素を交差させて考えたとき、私は怖ろしさで憂鬱になる。もし趙さんが指摘するような直下型地震が福島第一原発で起きた場合、4号機の燃料プールはそれに耐えうるだろうか。万が一、プールにヒビが入るなどして冷却水が漏れれば、むきだしの燃料棒がメルトダウンを起こし、膨大な量の放射性物質が放出されることになる。そうなれば、もはやだれもそれを止めることはできず、福島はおろか関東を超える300km、400km圏に汚染が広がるのは間違いない。そのとき、小出裕章さんがいうとおり、日本は終わる。
われわれは3.11以前のような日常を取り戻したかのごとく、原発事故の惨状を忘れかけて生活しているが、その日常の底にある危機は変わらずに重く存在する。いまこの瞬間にもその危機は目の前に現れ、われわれの生活を一変させてしまうかもしれない。燃料棒の取り出しが始まるまでの2年の間に双葉断層の地震が起きる可能性は否定できない。それを思えば、東京の街が砂上の楼閣に見えてくる。
常磐線での放射線量計測(2012年2月13日) [放射性物質]
2月13日に、いわきから上野に向かう常磐線の特急列車に乗りながら、線量計で各地の放射線量を測ってみた。参考までに、ここにその数値を掲載する。使用したのは携帯型の線量計「DoseRAE2」で、列車の窓際に置いて計測した。計測区間は湯本駅ー上野駅、計測地点はランダムで、駅もあれば駅間もある。
(単位:μSv/h)
湯本0.15
泉0.15
中郷町0.15
櫛形0.18
小木津町0.18
日立0.15
日立多賀0.14
久慈町0.14
東海0.12
勝田0.12
水戸0.10
市野谷0.12
カゴメ茨城工場付近0.13
杉の井0.14
神立中央0.15
荒川沖0.15
みどり野0.17
牛久沼0.16
谷中0.15
取手市0.17
井野0.18
取手駅0.19
天王台0.19
我孫子0.22
北柏0.24
あけぼの二丁目0.23
豊町0.22
南柏0.22
新松戸0.21
北松戸0.21
松戸0.20
江戸川0.19
金町0.19
亀有駅0.17
綾瀬0.13
北千住0.13
南千住0.13
三ノ輪0.12
日暮里0.11
鶯谷0.10
上野駅0.06
この数字を見ると、ネットや新聞などで報告されているとおり、取手や我孫子、柏、松戸などの地域が高いことが分かる。走行中の列車の窓際という限定した場所での計測のため、あまり参考にはならないかと思ったが、意外にもDose RAE2の値はそれなりの傾向を示したといえるだろう。「それなり」というのは、3月15日あるいは3月21日以降の放射性プルームによる汚染の影響だ。
前記の地域に比べると、いわき市の湯本のほうが低い。ちなみにいわき市内では、小名浜のアパート2階で0.14μSv/h、平駅周辺で0.2および赤井で0.22μSv/h程度、常磐三沢町で0.24μSv/hだった。やはり北に行くほど線量が上がる。四倉あたりではさらに高くなるのだろう。
福島の女性 [原発]
先日3月10日深夜に放映された「朝まで生テレビ」を観た。テーマは3.11の原発事故から1年経った現在における、除染・がれき・脱原発・エネルギー問題。細野豪志大臣と河野太郎議員の議論に実のあるものが多かったように思った。さてこの放送の中で、ひとしきり議論があった後、スタジオに来ていた福島からの観覧者の一人がマイクを向けられ、以下のようなことを言った。「これまでの議論を聞いていると、細野大臣や多摩大学の先生をふくめて皆さん、机の上だけで話をしている。机上の空論だ。自分の身内が福島にいたらこんな話にはならない。できれば福島に住んだうえで話をしてほしい。家族が住んでいるつもりで、もっと私たちの立場になって考えて」。
60歳くらいの女性だったが、正直にいってこの意見にはうなずけず、なにか違和感を感じた。確かに、福島の市民は今回の原発事故における最大の被害者だ。突然降ってわいた放射能汚染に健康や生活を脅かされ、地域のつながりを断ちきられ、仮設住宅あるいは自宅で不安なつらい毎日を送っていることは理解できる。怒りをぶつけたいのは当然だろう。しかし私が気になったのはこの女性の考えている「家族がいるつもりで」という問いかけだ。政治家や学者、評論家に当事者意識を持てという。その希望は甘いのではないだろうか。
相手の立場に立って考えるというのは、このような災害時においていかにも大事なことのように思えるが、人間の社会というのはそれほど人情に厚いところなのか。残念ながら、当事者意識を持てる人間など実際にはそう多くない。自分の家族を被災地に住まわせてまで他人のことを心配してくれるような人物はいないだろう。さらに踏み込んでいえば、国は市民の側に立つことはない。市民を心配し、安全を保証してくれるのが国や学者だと思っているのなら、考えをあらためたほうがいい。
私が感じた違和感は、その無防備さにある。どこかのミュージシャンが歌っているいうように「だまされていた」というのでは話にならない。私は、原発において国や電力会社がいう「安全」神話を信じていたのなら、それは信じるほうが悪いといいたい。原発1基で数百億〜数千億円の金が動くのだ。その金目当てに芝居をするのが人間というもの。その人間たちが口にする「安全」は建前に決まっている。あのような言葉を信じていたのなら、今後もきっといろいろな局面でだまされ続けるだろう。
女性の言葉からは「頼めばだれかが親身になって自分の安全を保証してくれる」、そんな意識が感じられる。「自分たちはいわれのない被害を受けたのだ。この損害をどうしてくれる? 家屋と収入のぶんを早急に賠償しろ!」くらいの気概が必要だ。相手は「年間10ミリシーベルト以下なら大丈夫。いや本当は100ミリでもそれほど影響はない……」などと無責任なことを言っているのだ。「そんな判断は我々がする。とにかく放射性物質をすべて東電と国が引き取れ」と返すのが筋だろう。
受け身ではいつまでたっても首都圏への供給地になるだけだ。これからは対等な立場に立つための強い意識が不可欠になる。相手に自分の主張をのませるための戦いは避けて通れない。まして、事故によって発生した問題はいまもほとんど解決していないのだ。戦いは今後数十年は続く。首都圏にエネルギーや食料、部品を供給していればなんとかなる時代は終わった。自分たちがこれだけつらい思いをしているのだから、国や県はどうにかしてくれるだろうという考えは捨ててほしい。まずは、東電と国に損害賠償を集団訴訟で求めるのが筋だ。そのうえで、自らの安全は自分で確保しなければならない。福島の市民は疲弊もしているだろう。先の見えない中いまは静かにしてほしいという気持ちもわかる。しかし、このような世界的な事故が起き、それが収束していない中、なお他者に期待するのは人がよすぎるだろう。いまからでも遅くはない。福島県の人々は感情に訴えるだけではなく、理屈で戦略的に考える訓練をしてほしい。自立するための言葉を得てほしい。とりもなおさず、それがいままでの福島県の市民に欠けていた資質であり、この戦時下のような状況で必要なことでもあるのだから。
4月4日追記:
【福島原発告訴団】3月16日、いわき市で「福島原発告訴団」の結成集会が開催された。
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/
「福島原発事故により強制的に被曝させられたわたしたちは、生活と健康の不安におびえながら、このまま泣き寝入りするわけにはいきません。いまだに責任が問われていない東京電力の経営陣、原子力安全委員会の委員など、東京電力&国&官僚&御用学者の犯罪を追求し、法的責任を問うことが必要です。「原子力村」の犯罪を、告訴で刑事責任を糾すため、(仮称)福島原発告訴団を結成いたします。みなさまのご賛同と結成集会への参加を呼びかけます」
60歳くらいの女性だったが、正直にいってこの意見にはうなずけず、なにか違和感を感じた。確かに、福島の市民は今回の原発事故における最大の被害者だ。突然降ってわいた放射能汚染に健康や生活を脅かされ、地域のつながりを断ちきられ、仮設住宅あるいは自宅で不安なつらい毎日を送っていることは理解できる。怒りをぶつけたいのは当然だろう。しかし私が気になったのはこの女性の考えている「家族がいるつもりで」という問いかけだ。政治家や学者、評論家に当事者意識を持てという。その希望は甘いのではないだろうか。
相手の立場に立って考えるというのは、このような災害時においていかにも大事なことのように思えるが、人間の社会というのはそれほど人情に厚いところなのか。残念ながら、当事者意識を持てる人間など実際にはそう多くない。自分の家族を被災地に住まわせてまで他人のことを心配してくれるような人物はいないだろう。さらに踏み込んでいえば、国は市民の側に立つことはない。市民を心配し、安全を保証してくれるのが国や学者だと思っているのなら、考えをあらためたほうがいい。
私が感じた違和感は、その無防備さにある。どこかのミュージシャンが歌っているいうように「だまされていた」というのでは話にならない。私は、原発において国や電力会社がいう「安全」神話を信じていたのなら、それは信じるほうが悪いといいたい。原発1基で数百億〜数千億円の金が動くのだ。その金目当てに芝居をするのが人間というもの。その人間たちが口にする「安全」は建前に決まっている。あのような言葉を信じていたのなら、今後もきっといろいろな局面でだまされ続けるだろう。
女性の言葉からは「頼めばだれかが親身になって自分の安全を保証してくれる」、そんな意識が感じられる。「自分たちはいわれのない被害を受けたのだ。この損害をどうしてくれる? 家屋と収入のぶんを早急に賠償しろ!」くらいの気概が必要だ。相手は「年間10ミリシーベルト以下なら大丈夫。いや本当は100ミリでもそれほど影響はない……」などと無責任なことを言っているのだ。「そんな判断は我々がする。とにかく放射性物質をすべて東電と国が引き取れ」と返すのが筋だろう。
受け身ではいつまでたっても首都圏への供給地になるだけだ。これからは対等な立場に立つための強い意識が不可欠になる。相手に自分の主張をのませるための戦いは避けて通れない。まして、事故によって発生した問題はいまもほとんど解決していないのだ。戦いは今後数十年は続く。首都圏にエネルギーや食料、部品を供給していればなんとかなる時代は終わった。自分たちがこれだけつらい思いをしているのだから、国や県はどうにかしてくれるだろうという考えは捨ててほしい。まずは、東電と国に損害賠償を集団訴訟で求めるのが筋だ。そのうえで、自らの安全は自分で確保しなければならない。福島の市民は疲弊もしているだろう。先の見えない中いまは静かにしてほしいという気持ちもわかる。しかし、このような世界的な事故が起き、それが収束していない中、なお他者に期待するのは人がよすぎるだろう。いまからでも遅くはない。福島県の人々は感情に訴えるだけではなく、理屈で戦略的に考える訓練をしてほしい。自立するための言葉を得てほしい。とりもなおさず、それがいままでの福島県の市民に欠けていた資質であり、この戦時下のような状況で必要なことでもあるのだから。
4月4日追記:
【福島原発告訴団】3月16日、いわき市で「福島原発告訴団」の結成集会が開催された。
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/
「福島原発事故により強制的に被曝させられたわたしたちは、生活と健康の不安におびえながら、このまま泣き寝入りするわけにはいきません。いまだに責任が問われていない東京電力の経営陣、原子力安全委員会の委員など、東京電力&国&官僚&御用学者の犯罪を追求し、法的責任を問うことが必要です。「原子力村」の犯罪を、告訴で刑事責任を糾すため、(仮称)福島原発告訴団を結成いたします。みなさまのご賛同と結成集会への参加を呼びかけます」
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